大戦後、1956年10月に鳩山一郎とソ連ブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。 経過を見れば異論が出てくるが、返還交渉は「日ソ共同宣言」に基づいていくべきではないか。 交渉では、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張した。日本側は国後島と択捉島を含む4島返還での継続協議を要求したため交渉で折り合えなかった。」 共同宣言では「ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に変換することは同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結されたあとに現実に引き渡すものとする。」と明記された。 ダレスの恫喝は、「4島返還でなければ沖縄返還しない」ということであり、米国の北方領土に対する考えと今回着任大使の言っていることに齟齬があるように見ていない。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
大戦後、1956年10月に鳩山一郎とソ連ブルガーニン首相はモスクワで「日ソ共同宣言」に署名した。
経過を見れば異論が出てくるが、返還交渉は「日ソ共同宣言」に基づいていくべきではないか。
交渉では、北方領土をめぐってソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を主張した。日本側は国後島と択捉島を含む4島返還での継続協議を要求したため交渉で折り合えなかった。」
共同宣言では「ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に変換することは同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結されたあとに現実に引き渡すものとする。」と明記された。
ダレスの恫喝は、「4島返還でなければ沖縄返還しない」ということであり、米国の北方領土に対する考えと今回着任大使の言っていることに齟齬があるように見ていない。