<山のさみしき頂より思いで深き筑紫平野を眺めてこの世の「怨恨と呪詛」を捨て静かに永遠平和なる眠りに就くべく候> 年に一度はひもとも「菜根譚」も最後になっているが、このブログを見て、通じるところを感じた。 「菜根譚」は、中国明末洪応明の著であるが、彼は儒教の徒でありながら「老荘」、「禅」の思想に向かった。この著は中国ではほとんど取り上げられていないが、日本ではよく読まれている。 「人生は一分を減省せば、便ち一分を超脱する」=世俗の悩みから抜け出るためには、友人との付き合いも減らし、発言することを減らし、思案することも減らし、賢さも減らし、余分なものを減らしていけば、人間本来の生活心を取り戻すことができる。余分なものを持っていれば、自分の人生を手かせ足かせで束縛しているようなものだ。 この方は、満28歳で死去されているが、「死」に直面し自覚しておられる。ところが、70歳を超えても自覚しない人間がいる。世の中は面白いというより、滑稽であり、不可思議である。
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孫崎享チャンネル
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<山のさみしき頂より思いで深き筑紫平野を眺めてこの世の「怨恨と呪詛」を捨て静かに永遠平和なる眠りに就くべく候>
年に一度はひもとも「菜根譚」も最後になっているが、このブログを見て、通じるところを感じた。
「菜根譚」は、中国明末洪応明の著であるが、彼は儒教の徒でありながら「老荘」、「禅」の思想に向かった。この著は中国ではほとんど取り上げられていないが、日本ではよく読まれている。
「人生は一分を減省せば、便ち一分を超脱する」=世俗の悩みから抜け出るためには、友人との付き合いも減らし、発言することを減らし、思案することも減らし、賢さも減らし、余分なものを減らしていけば、人間本来の生活心を取り戻すことができる。余分なものを持っていれば、自分の人生を手かせ足かせで束縛しているようなものだ。
この方は、満28歳で死去されているが、「死」に直面し自覚しておられる。ところが、70歳を超えても自覚しない人間がいる。世の中は面白いというより、滑稽であり、不可思議である。