ルール一般にいえることだが、「人権」も、いったん確立してしまえば、それを根拠に他者を攻撃する道具となる。最近も、森元総理は「女性蔑視。女性の人権に配慮しなかった」としてさんざん叩かれ、辞任においこまれた。叩いたヒトビトが本当に女性の人権に配慮しているヒトビトかどうかはそこでは問題にされない。 そして一方、「罪なき者だけがまず石を投げよ」の ヨハネ福音書のルールも、確立したルールであり、それを根拠に他者を攻撃する道具となる。 さて、米国が「他者を攻撃する道具」として「人権」を使ってきたことは、もちろん間違いない。しかし、「罪なき者だけがまず石を投げよ」が「米国を攻撃する道具」として使われていることもまた間違いない。 「人権」派と「罪なき者だけがまず石を投げよ」派が空中戦を続ける結果、確実に言えることは、ウイグル人の人権状況は置いてけぼりだということだ。 ウイグル人の人権状況は、自分で調べて考えて自分の倫理観で判断を下せばいい問題だ。つまり、それは判断者各個人の倫理的な問題だ。中国を批難したうえで、さらに米国の所業に対しては米国を批難しても、その個人の内部に本来なんの矛盾もない。 個人の倫理的判断の領域にまで米国がどうしているかが気になるというのは、「罪なき者だけがまず石を投げよ」派がいかに生涯を通じて米国に影響されていたか、その知性、感情のすべてに米国が及んでいたかを証明している。倫理的判断の根拠にまで米国が居るなど、哀れなものだと感じる。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
ルール一般にいえることだが、「人権」も、いったん確立してしまえば、それを根拠に他者を攻撃する道具となる。最近も、森元総理は「女性蔑視。女性の人権に配慮しなかった」としてさんざん叩かれ、辞任においこまれた。叩いたヒトビトが本当に女性の人権に配慮しているヒトビトかどうかはそこでは問題にされない。
そして一方、「罪なき者だけがまず石を投げよ」の ヨハネ福音書のルールも、確立したルールであり、それを根拠に他者を攻撃する道具となる。
さて、米国が「他者を攻撃する道具」として「人権」を使ってきたことは、もちろん間違いない。しかし、「罪なき者だけがまず石を投げよ」が「米国を攻撃する道具」として使われていることもまた間違いない。
「人権」派と「罪なき者だけがまず石を投げよ」派が空中戦を続ける結果、確実に言えることは、ウイグル人の人権状況は置いてけぼりだということだ。
ウイグル人の人権状況は、自分で調べて考えて自分の倫理観で判断を下せばいい問題だ。つまり、それは判断者各個人の倫理的な問題だ。中国を批難したうえで、さらに米国の所業に対しては米国を批難しても、その個人の内部に本来なんの矛盾もない。
個人の倫理的判断の領域にまで米国がどうしているかが気になるというのは、「罪なき者だけがまず石を投げよ」派がいかに生涯を通じて米国に影響されていたか、その知性、感情のすべてに米国が及んでいたかを証明している。倫理的判断の根拠にまで米国が居るなど、哀れなものだと感じる。