change のコメント

何時から尖閣諸島帰属問題が外交問題になったか、調べてみた。

1968年日本・台湾・韓国の専門家中心の国連アジア極東経済委員会が学術調査を行った。東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘されてから1970年以降注目される。サンフランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政権に置かれた尖閣諸島に異議が出ていない。

1972年日中首脳会談(田中・周)外交記録公開済み
田中:尖閣諸島についてどう思うか。私のところにいろいろ言ってくる人がいる。
周 :今回は話したくない。今これを話すのはよくない。
   石油が出るからこれが問題になった。
   石油がでなければ台湾も米国も問題にしなかった。

1978年10月25日福田・鄧首脳会談
鄧 :我々の時代は知恵が足りない。次の世代は知恵があり解決できるだろう。
   この問題は大局的視点が必要だ。(福田応答せず)
その後の記者会見で鄧小平氏会見
一時棚上げしてもかまわない。十年棚上げしてもかまわない。次の世代が解決方法を見出すだろう。

日本・中國・台湾の領土主張があるが、先人の外交交渉を見ると一筋縄ではいかないようだ。後世代の我々に知恵があるとみた先人にも申し訳ない気持ちが強い。周恩来、鄧小平などはざっくばらんに会話している。大人の風格を覚える。日本の政治家も中国の政治家もざっくばらんに話し合える環境ができないものか。責任は重い。

No.7 45ヶ月前

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