りゃん のコメント

今回の記事のお話は、「自分が」競争で勝つための戦略についてでもあろうが、俯瞰的にみると、「皆が」無益な競争をさけて勝者になるためには、どのような発想が必要かということについででもあろうと思われる。この点は孫崎さんの意図の解釈において重要だとおもうので、指摘しておきたい。

ところで、今回のお話を、「皆が」無益な競争をさけて勝者になるためには、どのような発想が必要かという観点でとらえた場合、経済学においてそれを合理的に説明したのがリカードの「比較優位」の考え方だとおもう。「比較優位」の考え方に従えば、その考えによって各経済主体が行動すれば、そうでない場合よりも、各経済主体は経済的に幸福になれるのである。

高校のとき、授業で「比較優位」「比較生産費説」について説明してくれた先生は、これが自由貿易の基本にある考え方だとし、結論として、日本は工業製品の輸出に特化して、食料(農業生産物)は全部輸入するという考え方もありうると述べられていた。

いま、あらためてこれについて思い出して検討してみると、いろいろと考えるべきことがあると感じるが、根本的に重要な問題として、自由貿易をおこなう各国が、ある一定の倫理規範に従わなければ、この考え方はうまく機能しないということを強く思う。

たとえば、ここにN国とC国とがあるとしよう。C国は工業製品が比較優位である。N国はかつては工業製品が比較優位であった時代もあったが、いまの比較優位は観光である。C国人に観光にきてもらいそれで得たカネでC国の工業製品を買うのである。ところが、C国人はときどきN国に疫病を持ち込みN国人が死に経済活動は停滞する。そのうえ、C国は、そうなるのはN国の対策が悪いのだと言いたげである。また、C国は自国の政治的意思をN国に押し付けるために、ときどき「そんなふうでは観光客を送らないぞ」とN国を恫喝する。

つまり、C国には、観光を取引する自由貿易を「比較生産費説」がうまく機能するようにおこなうためのある一定の倫理規範がなく、N国はC国と観光を取引することで、取り返しのつかない大きな痛手を受ける側である。それに比べて、C国人は、観光などしばらくしなくてもなんということもない。それにC国国内にだって観光地はあるのだ。

N国がC国に観光を売る取引で「比較生産費説」は成り立たないのである。

さて、N国はC国と、観光を取引する自由貿易をおこなって、幸福だろうか。それとも、ほかの相手あるいは考え方を選ぶべきだろうか。

C国と観光を取引する自由貿易をおこなってN国が共存共栄できると思う人の脳みそは、ミドリムシほども無さそうである。

No.7 48ヶ月前

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