りゃん のコメント

※『彼は家族のものになり、集団のものになり、政府のものになっている』『彼は人間の奴隷ではないが一つの制度の奴隷なのである』

「神国日本」という題名は、1976年の日本語訳のときの題名で、もともとは「Japan: an Attempt at Interpretation」という題名である。「Japan: an Attempt at Interpretation」はキンドル版が無料で読める(アマゾンで検索)。東洋文庫版もキンドル版が出ているが、こちらは有料。

Japan: an Attempt at Interpretationの出版は、1904年、あるいは1905年らしい。孫崎さんの文章のなかにある「一八八八年米国で出版し」ということとの整合性がよくわからないが、もしかしたら、書内におさめられている一部原稿の初出がその年なのかもしれない。なお、1888年に、ハーンが日本に興味をもっていたのは事実のようだが、その時点ではまだ彼は日本に来ていない。

ハーンが日本に来たのは、1890年で、その後島根県、熊本県で英語教師としての教職を得ているが、1896年から東京帝大の英文学講師についている。今回孫崎さんが引用している部分は、主として東京帝大での学生の観察から着想を得ていることは、間違いないであろう。こういう観察を、現代の日本に敷衍するのは別にまちがいではないが、そもそもが、19世紀末の東京帝大の学生、つまり超エリートを対象とした観察であることには留意すべきだ。

すぐに興味がわくのは、当の東大の学生あるいは東大出身者がこの事情をどのようにとらえていたかで、わたしがすぐにおもいうかんだのは、鴎外(1881年卒業)の「舞姫」だ。だれもが一度は読んだことがあるだろうからごく簡単にわたしなりにあらすじを述べると、家族、集団、政府のものである太田豊太郎(鴎外自身が投影されているといわれている)が国費留学先のプロシアで個人主義の気風にふれ、下層階級の女の子と恋仲になる一方、家族、集団、政府からは見放されていく。しかし最後の最後で、妊娠した女の子を捨て、太田豊太郎は、家族、集団、政府のもとに自主的に戻っていく。「舞姫」の最後は、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」と結ばれる。相沢謙吉というのは、家族、集団、政府のがわに太田豊太郎を取り戻そうと活躍する友人である。

もちろんいろんな人々がいたのにはちがいないが、少なくともハーンの指摘した事情のなかで葛藤しつつ生きていた超エリートが何人かは当時いたことが、「舞姫」でわかる。そして、明治の日本人が個人主義をどうとらえるのかという問題は、ハーンのあとをついで東京帝大の英文学講師になった漱石がさらに展開する。

さて、上でも書いたが、ハーンに限らずおこなっているこうした観察を、現代の日本に敷衍するのは別にまちがいではない。しかし、まずは当時の日本人に内在的に理解したうえで考えるほうが、たぶん稔りが多いであろうという直観がある。そうでないと、全体主義だから侵略したのだというような安易な発想になる。同じ口が、(個人主義の)米英は大侵略者であり、(全体主義の)中国は大平和国家であるというようなことを述べたりするのだ。

また、もしもそれが日本人が長く培ってきた国民性、ほとんど運命であるのなら、こういう文章を読んでちょっと反省したり自覚したりではどうにもならないことも知るべきであろう。運命なのだから。

ところで、ハーンの分析を、日米戦争で米国がおおいに参考にしたという噂がある。これはつまり、文化人類学的発想であり、かれらの定石なのだ。
たぶん、米国は中国のことも、すみからすみまで調べ上げているとおもう。一方、中国はその用意があるだろうか。

No.8 50ヶ月前

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