古い本を孫崎さんは持ち出すなあと思いました。いまさら読む人もいないのではないでしょうか。 孫崎さんの問題意識にできるだけ沿って考えると、「世界の人々はレクサスが日本製だから買うのではない。誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる。」というのが当時の米国人の一部の考えだとしても、当時の日本人は、レクサスに日本的なものつくりやサービスの伝統(オリーブの木ということばで象徴できるもの)がこめられていて、それがグローバルに受け入れられたのだと考えたようにおもいます。 その考えがいいとかわるいとか、正しいとか正しくないとか以前に、それが当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢だったのでしょう。 そしていま、チャイナ肺炎の猖獗を経て、Huaweiの5Gは、世界の人々にとって「誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる」とはならなかった。Huaweiの5Gの向こう側に、中国共産党政権の、他民族の「オリーブの木」に対する軽視や侵略性がグローバルに感じられた結果だとおもいます。そのように考えると、当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢は、まちがっていなかっただろうとおもいます。 そのようなかたちで、レクサスが象徴するものと、オリーブの木が象徴するものとは結び付いている。 しかし、グローバリズムのもつ本質的な疎外性は、「オリーブの木」そのものがいったいなんであったかを曖昧にしてゆくのでしょうね。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
古い本を孫崎さんは持ち出すなあと思いました。いまさら読む人もいないのではないでしょうか。
孫崎さんの問題意識にできるだけ沿って考えると、「世界の人々はレクサスが日本製だから買うのではない。誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる。」というのが当時の米国人の一部の考えだとしても、当時の日本人は、レクサスに日本的なものつくりやサービスの伝統(オリーブの木ということばで象徴できるもの)がこめられていて、それがグローバルに受け入れられたのだと考えたようにおもいます。
その考えがいいとかわるいとか、正しいとか正しくないとか以前に、それが当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢だったのでしょう。
そしていま、チャイナ肺炎の猖獗を経て、Huaweiの5Gは、世界の人々にとって「誰が作ろうと、素晴らしいものを愛でる」とはならなかった。Huaweiの5Gの向こう側に、中国共産党政権の、他民族の「オリーブの木」に対する軽視や侵略性がグローバルに感じられた結果だとおもいます。そのように考えると、当時の日本人のグローバリズムに対峙する姿勢は、まちがっていなかっただろうとおもいます。
そのようなかたちで、レクサスが象徴するものと、オリーブの木が象徴するものとは結び付いている。
しかし、グローバリズムのもつ本質的な疎外性は、「オリーブの木」そのものがいったいなんであったかを曖昧にしてゆくのでしょうね。