孫崎享のつぶやき

転載:辛淑玉「もう私の出番ではない」(『マスコミ市民2009・10』「在日」には「表現の自由」の段階はとっくに過ぎて今や生存権の問題なのです。この国には、(対在日や韓国人への)集団リンチはあっても集団サポートはないのです。

2019/10/07 07:44 投稿

コメント:13

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 最近、単独で来る原稿依頼は、ほぼ全て断っている。先日も「あいちトリエンナーレ」関連で「表現の自由」に関する原稿依頼が来たが、お断りした。

私を含む「在日」の多くにとって、もうそんな段階はとっくに過ぎて生存権の問題にまで来ているということを多くの日本人は知らないし、知ろうともしない。ユダヤ人がゲットーに押し込められ、さらには絶滅収容所で虐待をうけていた時も、ドイツ人は平穏な日常を営むことができたのと同じだ。

そして、自分達の平穏な日常がどうして批判されなければならないのかと、声をあげる者に逆ギレする。

あいちトリエンナーレの騒動は、表現の自由の問題ではない。それ以前に歴史的事実の否認という大問題が日本側にはあるのに、批判する側もそこは飛ばして、レイシストとの対話が必要と寝ぼけたことばかりいう。

安倍をはじめ、河村や大阪維新の会の首長達が歴史的事実を否認しているのをどう考えるか。それを抜きに

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コメント

>>7
ことわざ・格言の「郷に入っては郷に従え」は、その土地又は社会集団に入ったら、自分の価値観と違っても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をすべきであるといっている。見下した言葉ではない。批判した言葉でもない。

欧米にも、「When in Rome,do as Romans do.」ということわざ・格言があります。(ローマに行ったら、ローマ人のするとおりにしろ)と言っている。

イデオロギーとか怨念を超えた賢い生き方をことわざ・格言は言っているのであって、イデオロギーとか怨念にとらわれて、ことわざ・格言を「見下している」批判ととれば話が全くかみ合わない。



No.11 62ヶ月前

人の良い昔の日本人はこんな抽象的でコケ脅しばっかな文章にオタオタしたのだろうか。ならば最近の日本人は人が悪くなったのだ。その一部は確実に辛淑玉のような人のおかげだろう。そしてもう元には戻らない。

絶滅収容所にいる在日なんか見たことがない。逆に在日にリンチされる日本人なら、しばらく前にネットの中で有名になったM君リンチ事件がある。その首謀者の在日に辛淑玉が何やら深い関係があることが取りざたされていたっけ。
そういえばウイグルではナチス以上の絶滅収容所があるそうだが、辛淑玉のファンの老人はそういうことは気にならないらしい。

慰安婦問題にしても少女像の背景にある20万人の処女が強制連行され最後は殺されたという物語は端的に嘘だ。

いろんな嘘で塗り固めて政治的にマウンティングしようとする一部の在日をもう多くの日本人や多くの在日が飽き飽きしてみている。この人に出る幕がないのならそれはいいことだと思う。もともと出る幕なんかなかったのにしゃしゃり出ていただけなのだ。

No.12 62ヶ月前

朝鮮人の「自身には一切の否はない」という狂信的な思考にはいつも驚く。

No.13 62ヶ月前
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