歴史的に異民族を併合した場合、異民族の支配者が支配することが圧倒的に多いが、日本が朝鮮を併合しても直接的支配者は朝鮮人を登用した。基本的に日本の支配者は被支配者に無慈悲ではない。 強弱・濃淡はあっても、日本は「天皇」・「支配者」・「人民」の3つに区分される。同じ日本人の支配者が変わるだけで、国民に対する税などの額が大きく変わるのではなく、支配者と共存共栄の関係にあったとみるのが妥当でしょう。他国のように異民族に征服されると、生活が一変し、生活困窮の度合いが極端に変化するわけでなく、支配者に対する憎しみが強くなることがなかったのでしょう。 日本独特の、仏教は「人間としての生き方・心の在り方を」を教えていますし、儒教は「人間としての身の処し方」を教えています。日本人は学ということに対して前向きであり、「仁・義・礼」の精神が組み込まれていけば、「支配者の心と体の在り方」が「人民の心と体の在り方」と異なることはない。 日本人同士、「天皇」・「支配者」・「人民」の相互の信頼関係が成り立っており、人民が獲得した民主主義ではないということにこだわる必要性はない。日本民族の伝統的相互信頼関係を日本的にどのように変えていけばよいかを議論すべきであって、「民主主義」の定義で、批判するのは的を外れている。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
歴史的に異民族を併合した場合、異民族の支配者が支配することが圧倒的に多いが、日本が朝鮮を併合しても直接的支配者は朝鮮人を登用した。基本的に日本の支配者は被支配者に無慈悲ではない。
強弱・濃淡はあっても、日本は「天皇」・「支配者」・「人民」の3つに区分される。同じ日本人の支配者が変わるだけで、国民に対する税などの額が大きく変わるのではなく、支配者と共存共栄の関係にあったとみるのが妥当でしょう。他国のように異民族に征服されると、生活が一変し、生活困窮の度合いが極端に変化するわけでなく、支配者に対する憎しみが強くなることがなかったのでしょう。
日本独特の、仏教は「人間としての生き方・心の在り方を」を教えていますし、儒教は「人間としての身の処し方」を教えています。日本人は学ということに対して前向きであり、「仁・義・礼」の精神が組み込まれていけば、「支配者の心と体の在り方」が「人民の心と体の在り方」と異なることはない。
日本人同士、「天皇」・「支配者」・「人民」の相互の信頼関係が成り立っており、人民が獲得した民主主義ではないということにこだわる必要性はない。日本民族の伝統的相互信頼関係を日本的にどのように変えていけばよいかを議論すべきであって、「民主主義」の定義で、批判するのは的を外れている。