孫崎さんは、戦前と現在の比較をしておられる。異論がないというより、現在の日本の現状に対して、寂しい気がしています。 孫崎さんも承知していると思うが、私は、戦後教育を受けており、新制度に代わってから10回目の卒業になる。孫崎さんは4年後の卒業で14回目ということになる。 私の卒業した高校は、自由主義を標榜しており、新制度になってから,校歌なども教師と生徒が一緒になって作っていったし、行事なども生徒の自主性に任されており、学校、教師が干渉することなどなかった。大学はどこも学生の意思が尊重された。 卒業後会社に入っても、新しいことに挑戦する人が求められた。1965~1975年は、新しい市場開拓新製品開発が一番大切なことであり、何か仕事をすれば、必ず成果がついてくるし、給料のアップが30%を超える年度もあり、上を見て仕事をするというより、目前にある仕事を処理していくのに、苦労した時代であった。振り込まれる給料がいくらなどということを確認したこともなかった。 潮目が大きく変わったのは、よく覚えていないが(調べればわかることであるが)、多分、バブル崩壊が端緒であったのではないか。入社してくる新人たちは、仕事を指図しなければ仕事をしない、指図待ち仕事待ちの人間ばかりになっていったと思う。自主性が消えていったのが、現在に続いている。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
孫崎さんは、戦前と現在の比較をしておられる。異論がないというより、現在の日本の現状に対して、寂しい気がしています。
孫崎さんも承知していると思うが、私は、戦後教育を受けており、新制度に代わってから10回目の卒業になる。孫崎さんは4年後の卒業で14回目ということになる。
私の卒業した高校は、自由主義を標榜しており、新制度になってから,校歌なども教師と生徒が一緒になって作っていったし、行事なども生徒の自主性に任されており、学校、教師が干渉することなどなかった。大学はどこも学生の意思が尊重された。
卒業後会社に入っても、新しいことに挑戦する人が求められた。1965~1975年は、新しい市場開拓新製品開発が一番大切なことであり、何か仕事をすれば、必ず成果がついてくるし、給料のアップが30%を超える年度もあり、上を見て仕事をするというより、目前にある仕事を処理していくのに、苦労した時代であった。振り込まれる給料がいくらなどということを確認したこともなかった。
潮目が大きく変わったのは、よく覚えていないが(調べればわかることであるが)、多分、バブル崩壊が端緒であったのではないか。入社してくる新人たちは、仕事を指図しなければ仕事をしない、指図待ち仕事待ちの人間ばかりになっていったと思う。自主性が消えていったのが、現在に続いている。