ところで、このコメント欄は、孫崎さんからとくに「孫崎さんと同じ意見のひとびとのみのための場所」であるとの提示もないので、常識的には、(安いとはいえ)お金を払ってブロマガのメンバーになっているひとびとは等しく、優劣なく、書く権利がある場所だろう。 他人に書く権利を認め、自分も自分の意見を、マナーを守ってたんたんと書けばいいのだ。 そのさい、他人にみだらに罵詈雑言を浴びせない、ヘイトを向けない、かりに議論になっても丁寧なことばのやりとりをするなどが社会人として当然ではないだろうか(私見では、ここの掲示板は構造上、議論には向かないと思っている)。 ところが、なぜか勝手にこの場をしきる「ヒトビト」があらわれ、孫崎さん、あるいはその「ヒトビト」当人たちに同調しない書き手に、罵詈雑言を浴びせ、ヘイトを向けている。 おかげで異論のあるひとたちは居づらくなり、実際にわたし知るだけでもyounghope氏というひとが消えた。わたし自身も、「自分からは罵詈雑言を浴びせないが、もし罵詈雑言を浴びせられたら、黙っていないで浴びせ返す」という方針を当初からつらぬいたおかげで、こうして書き続けることができている。おとなしくしていたら、いまごろはわたしも消えていただろう。 「他人にも書く権利を認め、罵詈雑言を浴びせない」という社会人として最低限のマナーすらろくに守れない「ヒトビト」が、安倍内閣がどうしたとか、国政政治がこうしたとか、一人前のくちをきいているのも不思議だ。しかもこの「ヒトビト」は本来年少者の模範となるべき高齢者なのだ。やはりゲンパツのデンキを喰らい続け、パックス・アメリカーナのなかでワガママに生きてきたおかげで、こういう抑制の欠けた高齢者になったのだろうか。 この「ヒトビト」が、なにかというと日本の防衛に文句をつけるのも定番だ。おそらく、日本の敵は日本にどのような罵詈雑言や、理不尽や、ときには実力行使をしても、日本からはいっさいやり返してはいけないとでも思い、そこに自分を重ねているのだろう。 しかし、わたしは日本のあるべき防衛とは、「自分からはやらないが、もしやられたら、黙っていないでやり返す」であるべきだとおもう。これは多分、小中学校におけるイジメから、国際政治にまで通用する原則であろう(国際政治の場合には「やり返す」にはオトナの知恵が必要であるが)。実際、わたしは戦ってきたおかげで、この「ヒトビト」によるつきまといも少なくなり、むかしよりは多少は自由になった。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
ところで、このコメント欄は、孫崎さんからとくに「孫崎さんと同じ意見のひとびとのみのための場所」であるとの提示もないので、常識的には、(安いとはいえ)お金を払ってブロマガのメンバーになっているひとびとは等しく、優劣なく、書く権利がある場所だろう。
他人に書く権利を認め、自分も自分の意見を、マナーを守ってたんたんと書けばいいのだ。
そのさい、他人にみだらに罵詈雑言を浴びせない、ヘイトを向けない、かりに議論になっても丁寧なことばのやりとりをするなどが社会人として当然ではないだろうか(私見では、ここの掲示板は構造上、議論には向かないと思っている)。
ところが、なぜか勝手にこの場をしきる「ヒトビト」があらわれ、孫崎さん、あるいはその「ヒトビト」当人たちに同調しない書き手に、罵詈雑言を浴びせ、ヘイトを向けている。
おかげで異論のあるひとたちは居づらくなり、実際にわたし知るだけでもyounghope氏というひとが消えた。わたし自身も、「自分からは罵詈雑言を浴びせないが、もし罵詈雑言を浴びせられたら、黙っていないで浴びせ返す」という方針を当初からつらぬいたおかげで、こうして書き続けることができている。おとなしくしていたら、いまごろはわたしも消えていただろう。
「他人にも書く権利を認め、罵詈雑言を浴びせない」という社会人として最低限のマナーすらろくに守れない「ヒトビト」が、安倍内閣がどうしたとか、国政政治がこうしたとか、一人前のくちをきいているのも不思議だ。しかもこの「ヒトビト」は本来年少者の模範となるべき高齢者なのだ。やはりゲンパツのデンキを喰らい続け、パックス・アメリカーナのなかでワガママに生きてきたおかげで、こういう抑制の欠けた高齢者になったのだろうか。
この「ヒトビト」が、なにかというと日本の防衛に文句をつけるのも定番だ。おそらく、日本の敵は日本にどのような罵詈雑言や、理不尽や、ときには実力行使をしても、日本からはいっさいやり返してはいけないとでも思い、そこに自分を重ねているのだろう。
しかし、わたしは日本のあるべき防衛とは、「自分からはやらないが、もしやられたら、黙っていないでやり返す」であるべきだとおもう。これは多分、小中学校におけるイジメから、国際政治にまで通用する原則であろう(国際政治の場合には「やり返す」にはオトナの知恵が必要であるが)。実際、わたしは戦ってきたおかげで、この「ヒトビト」によるつきまといも少なくなり、むかしよりは多少は自由になった。