アーネスト・サトウと倒幕の時代

著者:孫崎享、出版社現代書館、1800円+税

サー・アーネスト・メイソン・サトウ(1843630 - 1929826[1])は、イギリスの外交官、186298日(文久2815日)、横浜に着任

『英国策論』:1866年(慶応2年)3月から5月にかけて週刊英字新聞『ジャパン・タイムズ』(横浜で発行)に匿名で論文を掲載。この記事が後に『英国策論』という表題で、翻訳出版され、大きな話題。西郷隆盛らも引用したとされる。

1.将軍は主権者ではなく諸侯連合の首席にすぎない。

.日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきである。

本 目次

1.アーネスト・サトウの来日

2.「桜田門外の変」から「生麦事件」へ

 伊東博文、坂下門外の変に関連し、塙次郎を麹町三番町の自宅前で暗殺。

島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリ