欧米の主要紙には、通常政治的諷刺を行う「Editorial cartoon」が掲載されている。Editorialを見ると、a newspaper article expressing the editor's opinion on a topical issueと或る。特定事件に対する編集者の見解を現わす記事、つまり社説である。Editorial cartoonも特定事件に対する見解を漫画としてあらわしたものと言える。
Editorial cartoonを引くと「政治的漫画。芸術家の意見を示す論評を持つ描写。権威を問い、腐敗、政治的暴力、社会的病みに関心を惹きつけるため、技術を駆使(An editorial cartoon, also known as a political cartoon, is a drawing containing a commentary express
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対日で公聴会、米自動車業界、不当な通貨安誘導を禁じる「為替条項」や日本車輸入の「数量規制」要求、米国・メキシコ・カナダ協定に入った通貨条項が「画期的」と評価。牛肉等畜産業団体が日本市場の開放を急ぐよう迫る、医薬品開発、知的財産権保護(産経)
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大阪報道部「財務省が森友学園側に口裏合わせ要請」等大スクープ報道。本来称賛を得るべきものに、小池英夫報道局長、大阪放送局の報道部長に「私は聞いてない。なぜ出したんだ」と怒りの電話。取材の記者は記者から考査部への異動し、結局退職「週刊文春」
コメント
はじめのころは、こわごわと「ウザい」といってただけなのに、自分の言葉に自分で刺激されて、大胆にヘイトをまきちらすようになってきましたねえ。典型的な「小心者」だとおもいます。
わたしもヘイトを吐きますが、それは言われたから言い返すのです(ある瞬間だけとれば、わたしが一方的に言っているようにみえるときもあるかもしれませんが)。そして、正面から言います。
まあ、いろんな人がいるのも面白いとはおもいます。
Tips:
「孫崎享のつぶやき」-迷惑コメントを非表示にする方法 ー 迷惑だとおもえば見ない読まない。それだけで十分。
政治的諷刺漫画が日本であまり流行らない理由は、単純に質が低いからだと思います。
誤解している人がいるとおもうのですが、諷刺漫画の土壌が広くあって、そのうえに政治的諷刺漫画があります。
たとえば、大坂なおみがセリーナ・ウィリアムズに勝ったとき、セリーナ・ウィリアムズに対する風刺漫画は、
それはもう辛辣なものがいくつもありました。その辛辣さが政治的なものに向かえば、
すなわち政治的諷刺漫画になります。
それら政治的風刺漫画は玉石混交ですが、その中のさらに少数が、孫崎さんが満足するようなものになります。
というわけで、広く漫画を用いて、他人を辛辣にあてこすったり貶したりという文化が、質の高い政治的風刺漫画が
出現するための必要条件だとおもいますが、日本の漫画にはその分野がない。しかしよく考えれば、言論にも
それはあまりないのです(左右とわず、質の低いヘイトはたくさんあるとおもいます)。
>>1
こんにちは。
表現の自由と「人権」との関係は、緊張感をともなうものですよね。
シャルリー・エブド襲撃(2015)は記憶に新しいですが、日本でも、「悪魔の詩」を邦訳した筑波大学助教授が
暗殺された未解決事件が有名です(犯人は不明だがおそらくはイランのイスラム教関係者)。
これらは、なんらかの「人権」をおかされたと思った側が、表現者を攻撃したものです。
風刺には勇気がいります。
朴槿恵を風刺したような記事を書いた産経新聞記者は韓国当局に拘束されましたが、
たとえば朝日新聞関係者が、自分が書いた記事が理由で拘束されるようなことは、韓国でも中国でもおきないでしょう。
新聞そのものがそういう文化であれば、まともな政治的風刺漫画なんかがそういう新聞にのるはずもないのです。
他国の首相をcourtierと書くのも、一種の風刺ですが、そういう文化が孫崎さんが日頃たよりにしているような日本メディアにあるのかどうか。
(ID:18367902)
アメリカに本社があるツイッター社が、ツイッター利用規約に反するということで、投稿単位でなく、アカウント単位で非表示になってしまったのでしょう。具体的には、安倍首相夫妻風刺画を不適切な画像と認定したのでしょう。
政治的風刺の範囲から、特定の宗教とか、団体、個人を風刺する場合、風刺された相手がどのように感じるか、風刺された相手からの批判が強ければ、極めて難しい立場に置かれることがある。
2015年に、フランス週刊誌掲載のムハンマド風刺画転載で、中日新聞、東京新聞がイスラム教徒に対して謝罪した。
ツイッターなどの電子媒体では、紙媒体と異なって、価値観が多様化している読者に対して、白黒をはっきりさせた画像だけで報道することが適切かどうかの議論をしていく必要性はありそうだ。表現の自由も人権問題との整合性の上で許されるものであり、犯罪者扱い画像傾向が強ければ、適切でないとみなされる場合もあるのでしょう。