りゃん のコメント

漱石ですか・・・
あまり知られていませんが、夏目漱石(1867年-1916年)は1909年に、満州・朝鮮各地を旅行しており、そのさいの印象を
「韓満所感」として随筆にまとめ、1909年に「満洲日日新聞」に発表しています。
このなかで漱石は、「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いています。
https://www.sankei.com/life/news/130107/lif1301070012-n1.html

なお、「満韓ところどころ」も、ゆっくり読むとなかなかおもしろい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/781_14965.html

孫崎さんの引いているのは小説ですが、これらには、小説ではないナマの漱石の心情が書かれているのではないでしょうか。

漱石の口を借りるまでもなく、近代化に遅れた地域は当時悲惨を極めた。明治維新は、日本が植民地化を免れ、
近代化に成功する契機としての意義があり、日本人ならだれでもそれを知り、さらに学びたいとおもっているので、
何度も何度もドラマになったり小説になったりするのですね。

ところで明治維新のそのとき、日本の革命家たちは、思想的におおむね帝国主義者でもありました。つまり、日本を侵略しに来た連中を学んだわけですね。
これは、当時日本が置かれた状況をおもえば、批判できるようなことではないとわたしはおもいます。

しかし、帝国主義を大きく実践に移した、それはおおむね日露戦争の勝利のころにはじまるのですが、これがつまずきの石でした。
帝国主義思想を克服するなおいっそうの思想の深まりが日本の大勢をしめることができなかった。これが当時の日本の限界であったのでしょう。
具体的には朝鮮問題の処理と日韓併合ですね、なぜか孫崎さんは日露戦争の原因である朝鮮問題のことを書いていないのですけれど。

No.9 74ヶ月前

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