changeさん、こんにちは。ご紹介の記事は、 61年前、沖縄の基地問題への懸念をアメリカ政府に伝えていた日本政府代表がいた https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20180928-00098462/ であるとおもいました。興味深い記事のご紹介ありがとうございます。 以下は、記事を読んでのわたしなりの感想であり、changeさんになにかコメントを求めるものではありません。 最近も北方領土の話題の時に書きましたが、日本はヤルタ=ポツダム体制をうけいれて敗戦しました。そのときに沖縄は日本の領土ではなくなっているのです。またサンフランシスコ平和条約で、米国が望めば沖縄は米国の信託統治領になることが決まっており、しかも、その「提案が行われ且つ可決されるまで」、米国は沖縄に対して「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」と決まっています。 (参考)サンフランシスコ平和条約 http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html 昭和天皇の、米国に対する「主権(=統治権)を日本に残したままでの25年あるいは50年間の租借というかたちでの、米国による沖縄軍事占領」という提案は、ヤルタ=ポツダム体制とサンフランシスコ平和条約という事実の文脈におけば、沖縄を取り返そうとする日本側からの巻き返し工作の一環と位置付けられるべきで、ご紹介の記事にある岸の言葉も、そういう意味での昭和天皇の言葉の延長上に位置づけられるでしょう。すなわち、一点目は、「琉球の居住者は日本人であり、琉球人は異民族ではないのだから、日本と同じように沖縄を扱え」という主張であり、二点目は、「沖縄に軍事基地をおきすぎると民生に影響が出るからやめてくれ」という主張だと考えるべきでしょう。こうしたやりとりは私の想像では当時岸=ダレス以外でもさまざまなレベルであったはずで、それが沖縄返還へと結実していったのでしょうね。 記事の筆者の立岩陽一郎は、「61年前、沖縄の基地問題への懸念をアメリカ政府に伝えていた日本政府代表がいた」ことを、意外そうに書いているように見受けますが、歴史を知って(それも誰でも知ってるようなこと)、常識的な推論をすれば、意外でもなんでもありません。 ではなんでそれが意外に感じられる向きがあるかというと、最近のサヨクメディアが安倍内閣の攻撃のために「日本政府は沖縄をサベツしている」という文脈で沖縄問題を語り、それにただ影響されて歴史も知らず、なんとなくそうだなと感じているヒトビトが多いからです。記事中の野添文彬という学者も、 米軍ヘリ墜落もスルー…沖縄県民は「国難突破選挙」に怒っている https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53253 という記事を読んでみれば、そういうサヨクメディアに加担する学者ということなんだろうとおもいます。 日本は敗戦により本来沖縄を失っているのです。沖縄からすれば、米国の信託統治領という名前の米国の植民地になっていたということです。いや、最悪をいえば、ロシアが北方領土でおこなったように、米軍が住民をすべて追い出していた可能性だってありえたことです(当時の沖縄の人口は40から60万人と言われているので、「人口が多すぎて不可能」とはいえません)。それをここまで巻き返してきた。この先だってたいへんな道のりでしょう。 別の言い方をすると、北方領土を「ヤルタ=ポツダム体制」「サンフランシスコ平和条約」を理由に簡単にあきらめる、孫崎さんを含むヒトビトが、なぜその理屈を適用して沖縄を簡単にあきらめないのか、わたしは不思議です。わたしはどちらもあきらめません。
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changeさん、こんにちは。ご紹介の記事は、
61年前、沖縄の基地問題への懸念をアメリカ政府に伝えていた日本政府代表がいた
https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20180928-00098462/
であるとおもいました。興味深い記事のご紹介ありがとうございます。
以下は、記事を読んでのわたしなりの感想であり、changeさんになにかコメントを求めるものではありません。
最近も北方領土の話題の時に書きましたが、日本はヤルタ=ポツダム体制をうけいれて敗戦しました。そのときに沖縄は日本の領土ではなくなっているのです。またサンフランシスコ平和条約で、米国が望めば沖縄は米国の信託統治領になることが決まっており、しかも、その「提案が行われ且つ可決されるまで」、米国は沖縄に対して「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」と決まっています。
(参考)サンフランシスコ平和条約
http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html
昭和天皇の、米国に対する「主権(=統治権)を日本に残したままでの25年あるいは50年間の租借というかたちでの、米国による沖縄軍事占領」という提案は、ヤルタ=ポツダム体制とサンフランシスコ平和条約という事実の文脈におけば、沖縄を取り返そうとする日本側からの巻き返し工作の一環と位置付けられるべきで、ご紹介の記事にある岸の言葉も、そういう意味での昭和天皇の言葉の延長上に位置づけられるでしょう。すなわち、一点目は、「琉球の居住者は日本人であり、琉球人は異民族ではないのだから、日本と同じように沖縄を扱え」という主張であり、二点目は、「沖縄に軍事基地をおきすぎると民生に影響が出るからやめてくれ」という主張だと考えるべきでしょう。こうしたやりとりは私の想像では当時岸=ダレス以外でもさまざまなレベルであったはずで、それが沖縄返還へと結実していったのでしょうね。
記事の筆者の立岩陽一郎は、「61年前、沖縄の基地問題への懸念をアメリカ政府に伝えていた日本政府代表がいた」ことを、意外そうに書いているように見受けますが、歴史を知って(それも誰でも知ってるようなこと)、常識的な推論をすれば、意外でもなんでもありません。
ではなんでそれが意外に感じられる向きがあるかというと、最近のサヨクメディアが安倍内閣の攻撃のために「日本政府は沖縄をサベツしている」という文脈で沖縄問題を語り、それにただ影響されて歴史も知らず、なんとなくそうだなと感じているヒトビトが多いからです。記事中の野添文彬という学者も、
米軍ヘリ墜落もスルー…沖縄県民は「国難突破選挙」に怒っている
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53253
という記事を読んでみれば、そういうサヨクメディアに加担する学者ということなんだろうとおもいます。
日本は敗戦により本来沖縄を失っているのです。沖縄からすれば、米国の信託統治領という名前の米国の植民地になっていたということです。いや、最悪をいえば、ロシアが北方領土でおこなったように、米軍が住民をすべて追い出していた可能性だってありえたことです(当時の沖縄の人口は40から60万人と言われているので、「人口が多すぎて不可能」とはいえません)。それをここまで巻き返してきた。この先だってたいへんな道のりでしょう。
別の言い方をすると、北方領土を「ヤルタ=ポツダム体制」「サンフランシスコ平和条約」を理由に簡単にあきらめる、孫崎さんを含むヒトビトが、なぜその理屈を適用して沖縄を簡単にあきらめないのか、わたしは不思議です。わたしはどちらもあきらめません。