福沢諭吉は佐幕だった。彼は当時跋扈した尊王攘夷のテロにはうんざりしていた筈だ。彼は幕府が咸臨丸を米国に派遣すると聞きつけコネを頼って乗りこみに成功した。彼の心境は幕府を中心とする挙国一致内閣を夢見た坂本竜馬のそれと同じようなものであったと推測される。従って、藩閥政府が掲げた忠君愛国には尊王攘夷に通ずるものがり彼は素直にはなれなかったのだろう。 当時の列強で最強はイギリス、フランス、米国だが、生憎、フランスでは何と早々プロレタリア革命が起こる騒ぎが起き、その植民地主義は勢いを失くしていた。幕府の有力な支援国フランスがこの体たらくだったから、幕府にとっては痛手。加えて、米国では南北戦争が勃発し、極東への進出は失速していた。元気だったのはイギリスだけ。イギリスは中国の経営に本格的に乗り出したばかり。その為にシンガポールに次ぐ最大規模のロジステイックの基地建設が求められ、日本が選択されたのだ。当然、日本を保護国にし使いこなすにはまず討幕が必要なことはイギリスにとってはイロハだった。忠君愛国はイギリスのアイデイアでもあったのだ。アーネスト・サトーの日記にもそれらしきものが見える。 近代日本で最初のアメリカン・スクール出身の福沢諭吉にとっては忠君愛国は元々反米テロの臭いで一杯の尊王攘夷に連結するものであり、その後、イギリスの工作の結果、出て来る「忠君愛国」だから、福沢諭吉は真底好きにはなれなかったのではなかろうか。
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孫崎享チャンネル
(ID:19005377)
福沢諭吉は佐幕だった。彼は当時跋扈した尊王攘夷のテロにはうんざりしていた筈だ。彼は幕府が咸臨丸を米国に派遣すると聞きつけコネを頼って乗りこみに成功した。彼の心境は幕府を中心とする挙国一致内閣を夢見た坂本竜馬のそれと同じようなものであったと推測される。従って、藩閥政府が掲げた忠君愛国には尊王攘夷に通ずるものがり彼は素直にはなれなかったのだろう。
当時の列強で最強はイギリス、フランス、米国だが、生憎、フランスでは何と早々プロレタリア革命が起こる騒ぎが起き、その植民地主義は勢いを失くしていた。幕府の有力な支援国フランスがこの体たらくだったから、幕府にとっては痛手。加えて、米国では南北戦争が勃発し、極東への進出は失速していた。元気だったのはイギリスだけ。イギリスは中国の経営に本格的に乗り出したばかり。その為にシンガポールに次ぐ最大規模のロジステイックの基地建設が求められ、日本が選択されたのだ。当然、日本を保護国にし使いこなすにはまず討幕が必要なことはイギリスにとってはイロハだった。忠君愛国はイギリスのアイデイアでもあったのだ。アーネスト・サトーの日記にもそれらしきものが見える。
近代日本で最初のアメリカン・スクール出身の福沢諭吉にとっては忠君愛国は元々反米テロの臭いで一杯の尊王攘夷に連結するものであり、その後、イギリスの工作の結果、出て来る「忠君愛国」だから、福沢諭吉は真底好きにはなれなかったのではなかろうか。