ライシャワー博士が日本に滞在していた時は、高度経済成長の時ではなかったか。その時見られた日本の姿をとらえているのか、戦前の時期のどの時期をとらえているのかがわからないので、簡単に見判断することができない。 日本は、慈悲(宗教的)とか、中庸(道徳的)という理念とは違ったとらえ方、すなわち(和の精神)「村社会」の構成を重視しているのではないかとみています。「和」の本質は異種民族文化が入り込む余地がない。異文化を吸収する時期は確かに拡大化の道を選択するが、吸収が終われば縮小化(ちじみの文化)「日本独自の道」を志向する。 我々が社会で活躍した時期は、人口が増大し、経済も拡大化の道を歩んだが、現在は、人口減少社会であり、すべてが縮小化の道を歩むべきであるが、政府が拡大化の選択をしており、「ちじみの傾向」に掉さしているというべきでしょう。 我々の時代は、均一性より多様化が選択された時代であり、ライシャワー博士が、戦後の一時期をとらえてお話になっているのか、戦前の一時期をとらえていっているのかが分からないのが残念です。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
ライシャワー博士が日本に滞在していた時は、高度経済成長の時ではなかったか。その時見られた日本の姿をとらえているのか、戦前の時期のどの時期をとらえているのかがわからないので、簡単に見判断することができない。
日本は、慈悲(宗教的)とか、中庸(道徳的)という理念とは違ったとらえ方、すなわち(和の精神)「村社会」の構成を重視しているのではないかとみています。「和」の本質は異種民族文化が入り込む余地がない。異文化を吸収する時期は確かに拡大化の道を選択するが、吸収が終われば縮小化(ちじみの文化)「日本独自の道」を志向する。
我々が社会で活躍した時期は、人口が増大し、経済も拡大化の道を歩んだが、現在は、人口減少社会であり、すべてが縮小化の道を歩むべきであるが、政府が拡大化の選択をしており、「ちじみの傾向」に掉さしているというべきでしょう。
我々の時代は、均一性より多様化が選択された時代であり、ライシャワー博士が、戦後の一時期をとらえてお話になっているのか、戦前の一時期をとらえていっているのかが分からないのが残念です。