りゃん のコメント

鳩山(一郎)内閣のもとで、重光外相(副総理)は、1955年、ダレス国務長官と「日米相互防衛条約」について交渉しました。その日本案第5条には「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始するものとする」と書かれていました。

この点につきダレスは「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。日本は米国を守ることができるのか。たとえばグワムが攻撃された場合はどうか」と質問し、重光は「自衛である限り協議が出来るとの我々の解釈である」と答えましたが、ダレスは「それは全く新しい話である。日本が協議に依って海外派兵できると云う事は知らなかった」と返しました(ここではもちろん日本国憲法第9条が両者の念頭にあります)。

重光はダレスに対して、日米行政協定(現在の地位協定)が不平等であり、「この点が米国への隷属関係であるといって左翼勢力の反米思想鼓吹の根源をなしている」と主張し、「われわれは国民に対し日本がふたたび平等になったといいたいのである」と強調しましたが、ダレスは「日本が米国の防衛に当たりうる時期が来るまでは真の平等ということはないであろう」と返しました。そして短期間の石橋内閣をへて、岸内閣となり、岸は相互防衛条約ではなく安保条約の改定をおこなうことになり、そして基本的にはその線のまま現在に至るわけですね。

この過程をみれば誰にでもわかるのですが、問題は根本的には簡単で、重光のときから何もかわっていないのです。
①日本が自国の防衛を自国の防衛力だけではできず、米国に頼らざるをえないという軍事的問題。
②日本が米国の自国防衛に協力できないという日本国憲法的問題。

鳩山内閣における重光の交渉の時点に戻って、この二点を動かさなければ(米国が世界戦略を根本的に変えるというよほどの世界史的大変動でもないかぎりは)米軍は日米安保条約のもと沖縄はじめ日本本土を使いたいように使うし、地位協定も不平等なままでしょう。米国の本音としては、そうしてこそ用心棒代がわりになると思っているわけだし、どういう場合に用心棒になってくれるのかも、じつは本当に明確とはいえないわけです。

この二点を動かすには、わたしは、とっとと9条を改正するとともに核武装の検討を始め(実際の核武装は非常に難しいのですが)、日米相互防衛条約の交渉にはいるべきだとおもっています。ただし、核武装は相対的なものですから半島の非核化や日中平和友好条約の相互不可侵の精神にもとづいた中国の日本向け核ミサイル廃棄などが進行するなら、核武装などわざわざする必要はありませんし、「防衛」の範囲については米国と厳しい交渉をすることになるでしょう。日本軍の中東やアフリカへの派遣については少なくとも「日米相互防衛」の範囲にはいれるべきではないとおもいます。

わたしなどは、こういうことをわかりやすく国民に説明する政党があらわれれば、少なくとも安保についてはかなり支持をあつめると思っているのですが、この点は野党がぜんぜんだめですね。①からも②からも目をそらして空理しか言わない。その結果は、「国民から支持されない」というかたちであらわれているわけです。もちろん、鳩山内閣の重光外相のころからすると、現在の自民党政治家もかなり劣化していると言うほかはありません。

No.8 83ヶ月前

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