西欧的見方は、「慈悲、共生」であり、東洋仏教的に言えば、「無思想の思想」、鈴木大拙は、「即非の論理」であり、西田幾太郎は、「絶対現在」など、瞑想的から哲学的な分析まで、人間意識の展開は、人生の大問題でもある。 自己の意識は、体験であり、体験するところに肯定と否定が錯綜する。この経験を積みながら、人格形成を高めていく。原理的に言えば、無限に肯定否定の円環が広がっていくことであり、相手の経験体験に基づく肯定否定の円環との調整、すなわち、円環が合致すれば理想的であるが、イデオロギーなどが意識の中枢を支配すると、意見交換の前に円環同士が衝突し、遊離していく。イデオロギーの対立などは、お互いに認め、生活する基礎を、現実と理想の区分けができないと、生活面で不安がなければ、人間意識の基本的原理は、組織として守っていくのが難しく、個々人が啓発していくしかなくなっているのではないか。したがって、イデオロギー団体、福祉団体、宗教団体など諸団体が、国民が主体の構成員のことより、組織体制維持にに傾けば、衰退に向かうしかない。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
西欧的見方は、「慈悲、共生」であり、東洋仏教的に言えば、「無思想の思想」、鈴木大拙は、「即非の論理」であり、西田幾太郎は、「絶対現在」など、瞑想的から哲学的な分析まで、人間意識の展開は、人生の大問題でもある。
自己の意識は、体験であり、体験するところに肯定と否定が錯綜する。この経験を積みながら、人格形成を高めていく。原理的に言えば、無限に肯定否定の円環が広がっていくことであり、相手の経験体験に基づく肯定否定の円環との調整、すなわち、円環が合致すれば理想的であるが、イデオロギーなどが意識の中枢を支配すると、意見交換の前に円環同士が衝突し、遊離していく。イデオロギーの対立などは、お互いに認め、生活する基礎を、現実と理想の区分けができないと、生活面で不安がなければ、人間意識の基本的原理は、組織として守っていくのが難しく、個々人が啓発していくしかなくなっているのではないか。したがって、イデオロギー団体、福祉団体、宗教団体など諸団体が、国民が主体の構成員のことより、組織体制維持にに傾けば、衰退に向かうしかない。