Mythe et poeme のコメント

司馬遼太郎が『司馬遼太郎が考えたこと』全15巻の中で繰り返して考察した課題の一つが、明治国家の「重さ」ということである。明治維新後に作られた「国家」というものが人民の頭の上にのしかかった重さというものは、西欧諸国に無い、類のないものだったと繰り返し述べている。
逆に言えば、江戸期までの民衆のほとんどは、「国家」などと言うものをほとんど意識したことがないままに一生を終えた。
歴史家の網野善彦は、江戸期までの民衆の暮らしぶりの多様性、女性の自由・自立度の高さなどを文献で立証した。

歴史への炯眼をもってなる両氏のいうところからすれば、「国家」と言う圧力釜で「国民」を一律化し、戦争に行く場合にも「死んでこい」という言い方がなされるような、つまり、国民は人間以下の道具のような存在であるような、そういう重量感のすさまじい国家が形成されたのは明治以後だと考えるのが自然だろう。

今だに人びとが時代劇のなかにのんびりした庶民生活の面影をなつかしんだり、あるいは、江戸落語の登場人物たちにノスタルジックな懐かしみを感じたりするのは、「国家」以前の、江戸の生活の記憶が文化の中にはかろうじて残っており、それを捨て切れずにいるのだろうか。

ハーンは、その江戸の雰囲気を十分に知っていたはずであり、彼が批判しているのは明治国家の官僚と官僚制度がしだいに国を変質させつつあることを感じたからではなかったか。

いずれにしても、海外からもどって東京の雑踏にはいると、人間の姿かたちや立ち居振る舞いの画一性にめまいをおぼえる。なにか、みなが同じ方向に、同じようないでたちで、同じような顔をして歩いている。その不気味さ。
しかし、それは、全体としてのパワーを発揮するようなたぐいの何かではなく、個を殺すような傾向の空気なのである。

日米戦争の敗戦後、一瞬だけ、その重さが蒸発して自由な空間が訪れたことは、いろいろな人間が証言している。焼け跡には自由な、輝ける空気があったという。あの、悲惨な焼け跡の方が戦前の軍国主義の重さよりも輝いていたという人がいるくらいだから、戦前のかの国の異様さは想像を絶したのである。

いろいろ調べていると、1960年から70年代に社会の中軸をになっていた人びと(孫崎さんの世代)には、むしろ、上の言うことに逆らうような自立タイプ(いわゆる「豪傑」)がどの分野にも少なからずいたという印象である。つまり、集団に従わないタイプであり、「一匹狼」とも「アウトロー」とも揶揄されがちなタイプである。作家でいれば辺見庸が典型だろう。
こういうタイプが今は絶滅した。
そして、戦後生まれが社会の担い手となってから、つまり安倍、野田、前原といった世代だが、日本が三等国にしか見えない情けない国家になり下がり続けている。この時期から対米従属がまるで正しいことのように思う人びとが多数の国になっており、そして、同時に「失われた10年」「失われた20年」「失われた30年」の時代に突入してしまった。

自立なくして国家の繁栄なしである。

No.4 86ヶ月前

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