りゃん のコメント

これを読むかも知れないほかの人たちに向けて書きますが、最初に帰国した拉致被害者5人は、北朝鮮ではいちおうの待遇をうけ、そこに生活基盤ができている。

そういう人たちが日本に帰国して、いきなりもう絶対北朝鮮に帰りたくないなどというはずはないのです。まして北朝鮮はもちろん、日本政府・外務省の人たちも、当初ほとんどの人たちは一時帰国の予定で動いていた。

しかし、西岡力によれば(ちょっといまどこにあるかわからず引用できないのですが)、はじめに地村が西岡に、「人前ではいえないが」「日本政府が守ってくれるなら」という条件で日本にとどまりたいと言った。そこから5人の意向を確かめることになった。その過程の詳細はいまでも明らかじゃないとおもいますが、5人本人たちも、自分は本当はどうなりたいのかすぐには分からなかったと思うし、粘り強い国側からの説得もあっただろうとおもいます。また、5人はそれぞれ性格や理解力適応力、現在の境遇、日本での基盤等々の異なる個人です。受け取り方も違ったと思います。

そして最終的に5人は日本にとどまる決心をした。

外務省は、とどめる理由は、
「帰国した5名の拉致被害者が、北朝鮮に残してきた家族も含めて自由な意思決定を行い得る環境の設定が必要であるとの判断の下」5人を日本にとどめたという立場です。日本にずっと留め置くことを前提とはしてない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kp/page1w_000082.html

そして5人のだれも、当時意思に反して日本に留め置かれたという趣旨のことは現在言っていない。

推論もふくめて自分なりに当時のことの自分なりの理解を書いてみましたが、これを本人たちの「要望」があったと一言でまとめるのは、あまりに乱暴だという批判なら理解できるし、修正もしましょう。しかし、日本政府が上意下達で5人を留め置いたという理解はまちがっているし、まして日本側の約束違反を今さら持ち出し、それがなかったら拉致問題は解決していただの語るのは、前にも書きましたが、ためにする議論でしかないことは強く主張しておきます。

※ そのときに活躍したのが、中山恭子と安倍晋三というわけですね。それが成功して安倍晋三は政治力をもちましたが、もちろん、失敗する可能性だってあったのです。

No.31 87ヶ月前

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