会話をする、議論する根本が、相手を尊重すること(唯心的)か、規則、規約、法律を重視する(唯物的)かによる差が大きいような気がする。私に言わせれば、お互いに子供である。 どちらも大切であるが、社会一般的には、義務より、権利の方が強くなっている。唯物的方向に流れており、個々の権利が強くなっているようであるが、集団化すれば、どんな集団でも、村社会につながってしまう。菅官房長官対望月記者が、産経対東京新聞、朝日新聞の構図になっている。どこに問題があるか。日本全体すべてに言えることであるが、自己本位であり、他人のことは無関係、無視の殺伐とした人間関係に起因するのでしょう。 相手を尊重する、思いやりのある社会を再構築しなければ、このような問題は日常化していく。困ったことに権力を持ったものがより強くなっていくのです。リベラルも何が平等であり、何が不平等かを、真剣に考える必要がある。 例えば,障害者でも、軽い障害者は、普通のひとと同じ扱いを社会で受けたいと思うし、重い障害者は、重い障害を乗り越える支援をしてほしいと思う。立場によって、同じ障害者でも、社会に望むことが違うのです。その違いも判らず、均一的福祉に流れやすい官僚は法律に詳しいが(唯物的)、何故か、現場(唯心的)障害者の気持ちを知らないのです。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
会話をする、議論する根本が、相手を尊重すること(唯心的)か、規則、規約、法律を重視する(唯物的)かによる差が大きいような気がする。私に言わせれば、お互いに子供である。
どちらも大切であるが、社会一般的には、義務より、権利の方が強くなっている。唯物的方向に流れており、個々の権利が強くなっているようであるが、集団化すれば、どんな集団でも、村社会につながってしまう。菅官房長官対望月記者が、産経対東京新聞、朝日新聞の構図になっている。どこに問題があるか。日本全体すべてに言えることであるが、自己本位であり、他人のことは無関係、無視の殺伐とした人間関係に起因するのでしょう。
相手を尊重する、思いやりのある社会を再構築しなければ、このような問題は日常化していく。困ったことに権力を持ったものがより強くなっていくのです。リベラルも何が平等であり、何が不平等かを、真剣に考える必要がある。
例えば,障害者でも、軽い障害者は、普通のひとと同じ扱いを社会で受けたいと思うし、重い障害者は、重い障害を乗り越える支援をしてほしいと思う。立場によって、同じ障害者でも、社会に望むことが違うのです。その違いも判らず、均一的福祉に流れやすい官僚は法律に詳しいが(唯物的)、何故か、現場(唯心的)障害者の気持ちを知らないのです。