かつて侵略を「平和のため」とするロジックがありました。皆が侵略している世界では、侵略しなければ生き残れない。一定の勢力範囲をもち均衡することは平和のためなのだ。このロジックは、今では否定されていますが、当時の情況を考えると、一定の合理性は確かにあります。しかし「侵略された側」のロジックがそれを凌駕しているのが今日の世界世論ということになるでしょう。 今また核兵器を「平和のため」とするロジックを唱えるバカがいます。核兵器のような、もっているだけで相手に対する威嚇になるような武器が単純に「平和のため」であるはずがありません。それを、核抑止についての理論をこまかく構築し、現場では相互に管理・監視をしあって、つまりは一定のタガをはめることではじめて「平和のため」に擬制できるわけです。そのタガを認めない国がもつ核兵器は「侵略」とほとんどかわりません。そのことがわからないのが、バカと呼ばれる所以ですね。 ベトナム戦争をすぐにもちだすバカもいます。米国は朝鮮戦争でもそうですが、ベトナムでも結局核兵器は使いませんでしたし、ベトナムは核兵器をもたずに米国に勝ちました。今でも持とうなどとはしていません。フセインやカダフィなどをみても、核兵器を持ちたいのは、国内要因も大きいのではないかと考えるべきでしょう。そういう国がこのまま生き残っていいのかもまた考えるべきでしょうね。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
かつて侵略を「平和のため」とするロジックがありました。皆が侵略している世界では、侵略しなければ生き残れない。一定の勢力範囲をもち均衡することは平和のためなのだ。このロジックは、今では否定されていますが、当時の情況を考えると、一定の合理性は確かにあります。しかし「侵略された側」のロジックがそれを凌駕しているのが今日の世界世論ということになるでしょう。
今また核兵器を「平和のため」とするロジックを唱えるバカがいます。核兵器のような、もっているだけで相手に対する威嚇になるような武器が単純に「平和のため」であるはずがありません。それを、核抑止についての理論をこまかく構築し、現場では相互に管理・監視をしあって、つまりは一定のタガをはめることではじめて「平和のため」に擬制できるわけです。そのタガを認めない国がもつ核兵器は「侵略」とほとんどかわりません。そのことがわからないのが、バカと呼ばれる所以ですね。
ベトナム戦争をすぐにもちだすバカもいます。米国は朝鮮戦争でもそうですが、ベトナムでも結局核兵器は使いませんでしたし、ベトナムは核兵器をもたずに米国に勝ちました。今でも持とうなどとはしていません。フセインやカダフィなどをみても、核兵器を持ちたいのは、国内要因も大きいのではないかと考えるべきでしょう。そういう国がこのまま生き残っていいのかもまた考えるべきでしょうね。