「権利のための闘争」のなかにはキーワードとして「権利感覚」が出てきますが、これは実際の闘争を通してしか涵養されないもののようですね。 で、これはまあ、たびたび申し上げている自説ですが、「投票とデモくらいしか政治参加したことがないような人」は、この「実際の闘争」というのを経験していないのです。デモはいかにも「実際の闘争」であるかのような興奮をもたらしますから、勘違いしちゃうんでしょうけどね。 「権利感覚」のうすいひとは、現在の民主国家では、まともな政治の場では「ただの数」としてくらいしか扱ってもらえません。結局デモに参加するくらいしかないというわけですね。 まあでも、人生長い間、「権利感覚」をそれほど涵養しなくても生き抜いてこられたのなら、それはある意味で、幸福だったといえるんだとおもいます。まわりからそれほど(自分では気づいていなくても)守られていたというこですから。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
「権利のための闘争」のなかにはキーワードとして「権利感覚」が出てきますが、これは実際の闘争を通してしか涵養されないもののようですね。
で、これはまあ、たびたび申し上げている自説ですが、「投票とデモくらいしか政治参加したことがないような人」は、この「実際の闘争」というのを経験していないのです。デモはいかにも「実際の闘争」であるかのような興奮をもたらしますから、勘違いしちゃうんでしょうけどね。
「権利感覚」のうすいひとは、現在の民主国家では、まともな政治の場では「ただの数」としてくらいしか扱ってもらえません。結局デモに参加するくらいしかないというわけですね。
まあでも、人生長い間、「権利感覚」をそれほど涵養しなくても生き抜いてこられたのなら、それはある意味で、幸福だったといえるんだとおもいます。まわりからそれほど(自分では気づいていなくても)守られていたというこですから。