東京の実家に預かってもらっていた猫が星になった。
院生の頃、ある夕方帰宅すると仔猫が私の玄関にいたのだった。捨てられたのだろうか、野原で生まれて親とはぐれたのだろうか。飢え、渇き、野生で勝ち目のない戦いをしてきたのは明らかだった。バージニアの冬は寒い。あまりに小さすぎたその猫はお腹を空かせてうずくまっていた。私自身は博士課程修了、博士論文を書きながら教職を得ようとその片田舎の大学街で人知れず苦戦していた。既に担当教官と会うのもコーヒーハウスになっており、キャンパスには教えに行くだけだった。 一時帰国するつもりもなく、それから日本に帰らず3年の年月がすぎることになる。
別に私がアメリカで仕事を得なくてもいいと思っていたと、最近父が書いていた。しかし当時の私はじりじり追い詰められ、最後の年は背水の陣のような心持ちだった。アイビーリーグ含めてアメリカ全国のトップレベルの博士プログラム卒
コメント
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素晴らしい文章でした。思わず引き込まれました。最後の方、幸福についての科学的考察。これは仏教的でもあると・・・。
特に、物事を批判的見ない事から、物事を良く見る思考とか、教えられる事柄が多々ありました。人と自分を比べない事、これもおおいに参考になります。今現在深い思考、内観の出来ない状態ですが、深い教えです。
(ID:18367902)
猿のセンズリさんに啓発され、考えてみました。
4つの「今」に関するプラクティスが幸福感につながる。(現在を生きる4つの実践体験ということであろうか)
①.小さな親切の積み重ね。(宗教的功徳に相当するか)
②.人と自分を比較しない思考。(自他一如の精神)
③.物事をよく見る思考の意識的切り替え。(ゼロ視点から直視し、当観自知しながらゼロ視点に立っていることであろうか)
④.物より経験。(物が分かりにくいが、知識に偏重することなく行為、体験が必要ということなのでしょうか)
最近のご投稿では見かけなくなったが、孫崎さんの宗教的なものの考え方が、乗り移っているようだ。孫崎さん、うれしいでしょうね。ただ、絶対現在を意識下においていないと、言葉でわかっても、哲学的思考についていけないのが、長所であり、短所でしょうか。
(ID:18660314)
前後遮断された「今」はありあせん。横線を鉛筆ででも引いてみて下さい。そうして、その線をカミソリででも切ってみてください。横線を未来、過去に例えてです。「今」はありますか?知行合一。これもえてして危険な言葉。全ての「知」ではありませんから・・・
今、を体得というよりも、「体現」が正確でしょうね。この投稿ぐるみプリントします。