テレビ司会者、放送作家などマルチタレントとして人気を博した大橋巨泉氏が12日午後急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。82歳。様々な人が大橋巨泉を偲んで発言している。
2014-06-05公開の私のツイッターを再掲載する。
基本的な考え方は、大橋巨泉氏と同様であるので、「MU(ムー)のブログ」より引用する。
********************************
スリカエやコジツケに満ちた安倍首相の集団的自衛権会見
この男に祖国を任せて良いのか
(週刊現代6月7日号:大橋巨泉の今週の遺言)より
去る5月15日、安倍晋三首相は記者会見を行って、集団的自衛権の説明に懸命だった。ボクは旅行中の宿の部屋で、全容を見た。紙芝居のようなパネルを使って、「平易に叙す」ことを心掛けたようだが、その内容たるや、「大ウソ」や「スリカエ」に満ちていて、見ていて気持ちが悪くなった。
率直な
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
-
天皇陛下の生前退位問題。天皇「象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべき」の考え。動き出さない安倍政権。後ろに小堀桂一郎氏ら右派の「事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧」という反対意見存在。
-
一覧へ
-
バングラ、日本人など殺害事件関係者に在日経験者含まれる。日本、集団的自衛権で自衛隊戦闘に関与すれば、日本にテロを呼び込む危険性、現実的になってきた
コメント
巨泉さんは安倍氏に「本当に悪い人」を見たと言ってますが、この表現は実は礼儀を重んじた紳士的な感性に基づくものだと思います。私は紳士でないからもっと辛辣になります。
米海兵隊出身の反戦活動家のケン・オキーフの講演からイギリスのブレア、カメロン、米国のブッシュ、オバマ、イスラエルのネタニアフに貼りつけるのにふさわしいレッテルがサイコパスだということを私が知ったのは6か月ほど前のことです。そのレッテル貼りつけの理由は9.11のヤラセの偽旗作戦に始まって悪鬼の如く敢行したアフガン、イラク、リビア侵攻作戦で何百万人をも殺して平気でいられる精神状態を指してのことです。
私は安倍氏もオバマやカメロンと同様のサイコパスだと診て居ます。では、何故、サイコパスが英国や米国や日本という自由世界で民主主義が定着していると言われる国で跋扈できるのか?そしてそのサイコパスそのものが選挙で悠々勝つのか?その理由?それは分かりきったことです。恐ろしい恫喝或いは金と引き換えでジャーナリズム本来の操を為政者そして背後の巨大資本に献上してしまったメインストリ-ムメデイアが国民を鋭意洗脳しているからだと思うのです。
巨泉さんは「悪い人」と言った。全くその通りです。ただ、私は英国、米国、日本の今の為政者には自分が悪いことをしているとという自覚さえもなくなってしまっているらしく見えることから「サイコパス」が彼らに貼りつけるにふさわしいレッテルではないかと思うのです。悪い人なら傍から注意されれば治る可能性はあるが、サイコパスは容易に治らないから危険です。
>1 そう思います。
自由に考え、発言し、批判し、議論のなかから学習し、自制し、思考をグレードアップさせる、という柔軟な姿勢、そのなかで相手の意見や立場を尊重する、という訓練が教育に必要。単に体制に従い、まじめに働くような従順な国民を作ろう、などという教育は、衰退国家への道だ。
>>2
サイコパスとは、Wikipediaによれば、「サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、である。
別の言い方をすると、他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
日本国の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律・第5条に、「この法律で『精神障害者』とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」と定義されている。
フレディ・タンは、安倍首相の言動を批判して、首相がサイコパスであると決めつけているが、首相のどのような言動に関してそのような分類が可能かについては、具体的な説明がない。一方、彼はイギリスのブレア、カメロン(キャメロンの間違いか?)、米国のブッシュ、オバマらもサイコパスだと言っているようだ。安倍さんも彼ら米英のリーダーと並べられたら、うれしく思うに違いない。それにしてもブッシュとオバマのどこが似ているのかね?
(ID:18367902)
日本の教育は、○✖回答方式、YES、NOの判断は、教科書に書いてある、有名な学者、評論家が唱えているいるから正しく、個人の自由なものの見方考え方は、排除される。このような教育を受ければ、多くの人は、体制側の発言は正しく、対極にある政党の発言は間違いということになる。マスコミが体制の言動を公平な目で見て、国民に提示しなければ、国民の多くは体制の「虚言」「スリカエ」「コジツケ」を見抜くことができない。
個人の成長性を見るには、絶対評価は間違いとは言わないが、評価する人の恣意性に委ねられ、評価される人にとって、評価する人が絶対者になってしまう。この弊害が、社会のすべての組織で起きており、体制国家の基盤を教育現場から出ていることにリベラルは目を見開くべきである。柔軟性に欠けるのが、リベラルの特質であり、誤りを認めることもないでしょう。