<文字文化における了解のプロセス> (送り手) 映像 →→言語 ⇒⇒ 言語 →→ 映像(受け手) <映像文化における了解のプロセス> (送り手) 映像 ⇒⇒ 映像 (受け手) 文字を媒介にしない文化では、「言語」を介した情報の解読のプロセスが不必要となり、非常に安楽である。 安楽と快適は似て非なるものだが。 そして、情報を受けとるために言語を学習する必要がなくなり、学習意欲と共に言語能力が欠落する可能性がある。 ここ10年ほど、「なので」を接続詞として冒頭にもってくる、「真逆」などのおかしな表現を使うなど、活字文化のなかではありえなかった言語表現が流通。 そういう言葉を使っている人の頭の中身が推測できる。
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孫崎享チャンネル
(ID:11773811)
<文字文化における了解のプロセス>
(送り手) 映像 →→言語 ⇒⇒ 言語 →→ 映像(受け手)
<映像文化における了解のプロセス>
(送り手) 映像 ⇒⇒ 映像 (受け手)
文字を媒介にしない文化では、「言語」を介した情報の解読のプロセスが不必要となり、非常に安楽である。
安楽と快適は似て非なるものだが。
そして、情報を受けとるために言語を学習する必要がなくなり、学習意欲と共に言語能力が欠落する可能性がある。
ここ10年ほど、「なので」を接続詞として冒頭にもってくる、「真逆」などのおかしな表現を使うなど、活字文化のなかではありえなかった言語表現が流通。
そういう言葉を使っている人の頭の中身が推測できる。