おはようございます。マクガイヤーです。
ブロマガを水曜更新にしたおかげで、ゆっくりした週末を過ごすことができました。
家族が『イッテQ』を観ながら笑ってる横で、必死こいてキーボードを叩いていたのも今は昔の話です。
マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。
○7月15日(土)20時~
「『ハクソーリッジ』と天才変態監督メル・ギブソン」
6/24よりメル・ギブソン久々の監督作である『ハクソーリッジ』が公開されます。
本作は2017年の第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞しました。これまでどう考えても落ち目だったメル・ギブソンにとっての復活作なのですが、『ブレイブハート』『パッション』『アポカリプト』といったこれまでのメル・ギブソン監督作を観ていた我々には分かっていたことです。
メル・ギブソンが、稀代の変態にして天才映画監督であることを……
そこで、俳優・監督としてのメル・ギブソンについて振り返りつつ、『ハクソーリッジ』について解説したいと思います。
是非とも『ハクソーリッジ』を視聴した上でお楽しみ下さい。
○7月29日(土)20時~
「最近のマクガイヤー 2017年7月号」
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
詳細未定
○8月前半(日時未定)20時~
「しあわせの『ドラゴンクエスト』」
7/29に『ドラゴンクエスト』シリーズ久しぶりのナンバリングタイトルにして非オンラインタイトル『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が発売されます。
『ドラクエ』といえば「国民的ゲーム」の冠をつけられることが多いですが、『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』や『マインクラフト』といったゲームを越えたコンテンツが席巻し、ゲームといえば携帯ゲームである現在、事情は変わりつつあるようです。
そこで、これまでの歴代作品を振り返りつつ、ドラゴンクエストの魅力に迫っていきます。
○8月後半(日時未定)20時~
「最近のマクガイヤー 2017年8月号」
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
詳細未定
さて、今回のブロマガですが、科学で映画を楽しむ法 第5回として、『大長編ドラえもん』と科学について書かせて下さい。
以前、『のび太の南極カチコチ大冒険』を扱った際の放送でも取り上げましたが、『大長編ドラえもん』は「すこしふしぎ」どころではないくらい科学的面白さに溢れた要素・仕掛け・シーンなどに溢れているのですよ。
●『大長編ドラえもん』とは
『大長編ドラえもん』とは、毎年春に公開されるアニメーション『映画ドラえもん』の原作です。
たいてい映画公開前年の夏に小学生のバイブルであるコロコロコミックで連載がはじまり、半年くらい連載が続いて、映画公開前の3月号か4月号あたりで完結します(だから春休み公開なのに劇中は夏休みだったりします)。
藤子・F・不二雄の生前は、当然ながらすべてイチから藤子・F・不二雄が描き、ネームから映画台本を起こしていたわけです。わざわざこう書くのは、『アンパンマン』とか『ルパン三世』とか『名探偵コナン』など、アニメにもその映画化にも原作者が(ほとんど)関わらない作品というのが当たり前に存在しますが、それとは違うということです。
で、この『大長編ドラえもん』、藤子ファンやドラえもんファンには常識だと思うのですが、滅茶苦茶面白いわけです。
更に、藤子・F・不二雄とSFといえば、「すこしふしぎ」という言葉に代表される科学的に厳密ではないけれど日常に非日常が入り込む作品や、SF短編のようなシニカルでシュールでブラックな作品を思い浮かべる方もおられるかもしれません。
ところが、こと『大長編ドラえもん』となると、SFとして王道というか、科学的分かりやすさとセンス・オブ・ワンダーが両立したシーン、要素、テーマ、物語が頻出するのです。
更に、『大長編ドラえもん』の特徴を挙げるとすれば、以下になるでしょう。
・SF・冒険小説の古典を下敷きとしている
・時間テーマ――タイムマシンとタイムパラドックス――の扱いの上手さ
・クラフト要素と『創世記』テーマへの拘り、自分が創り出したものへの責任感
具体的に作品名を挙げて、解説していきましょう。
記念すべき『大長編ドラえもん』の第一作が『のび太の恐竜』です。
首長竜の化石をタイムふろしきで孵してしまったのび太。ピー助という名前をつけるも、現代で巨大な首長竜を飼うことはできません。責任をとって、タイムマシンで白亜紀の世界に戻してやろうとします。ところが恐竜ハンター一味が現れて……そんなことがきっかけで展開される冒険物語です。
のび太と「恐竜」であるピー助の交流は『野生のエルザ』、ドルマンスタイン一味との追跡劇はハリウッド西部劇(というかアクション映画)の名作にして原点である『駅馬車』を下敷きとしていて、ピー助とのやりとりにほっこりした後、白亜紀においてけぼりの恐怖で動揺しつつ、血沸き肉踊る追跡劇を通して「故郷」まで帰還するという、実によくできた一作です。
『まんが道』や漫画家の自叙伝を読むと分かるのですが、この世代の漫画家はハリウッド映画とSF小説を愛好しているというか常識として嗜んでおり、エンターテイメントとしての教養や完成度に優れた作品になっています(初期の『大長編ドラえもん』は全てそうなのですが)。
特にそれを感じるのは、白亜紀の海で泳ぎ、夏休みっぽい一日を楽しんだ一行が、キャンプファイヤーを囲んで、今いる一億年前がどれくらい昔なのかピンとこないというのび太たちの問いに対するドラえもんの説明、すなわち「一億年前がどれくらい昔なのか」について語る場面です。
「じゃ、もう少し大ざっぱな考え方をしてみようか。
おとぎ話の世界があるだろ、
『むかしむかし王子さまと王女さまが……』
ざっと千年前はそんな時代だったんだ。
その倍の二千年ほど前にキリストが生まれてる。
西暦紀元やクリスマスは、ここから始まっているわけだ。
さらにその倍の四千年前、エジプト・メソポタミア・インドなどで文明が栄えていた。
日本ではまだ農耕も始まっていなかったけどね。
その倍の八千年前となるともうなんにもわからない。文字が発明されていないから記録がないんだよ。
人間の歴史なんてせいぜい五千年。
その五千年の歴史を二万回以上繰り返して……やっと一億年になる。
そんな気も遠くなるような大むかしに………、ぼくらはきてるわけだ。」
「なんだかこわくなっちゃった………。」
これは世界一分かりやすい「一億年前」に対する時間認識です。
学校の授業で習う「世界史」と「地学」は、片方は文系、もう片方は理系と、完全に別物です。
しかしドラえもんの説明は、両方が融合しています。「一億年前」を生理的な感覚で伝える名シーンです。
あまりにも生理的に上手く伝えすぎてしまい「なんだか怖くなってきた」と皆が感じることになるのですが、これこそがSF作品に特有の、視点を変えることで生まれる不思議な感動――センス・オブ・ワンダーなのではないかと思うのです。
『のび太の恐竜』には幾つか科学的に不正確な点があります。
有名なのは、首長竜は恐竜ではないこと、そしてフタバスズキリュウは胎生もしくは卵胎生と考えられており、卵の化石が発見されるというのはまずありえません。
後者は『大長編』執筆時にも映画のリメイク時にも分かっていないことでした。
おそらく、日本を代表する「恐竜」というイメージからフタバスズキリュウが選ばれたのでしょう(今ならフクイラプトルあたりが選ばれるのかもしれません。卵が東京にあるのは、ガケシタさんの家を建てる時に福井から土が運ばれてきた……みたいなシーンが冒頭にあると良いのかも)。
ですが、『のび太の恐竜』は、そんな細かいつっこみを跳ね除けるくらい面白い作品です。
コメント
コメントを書く(ID:2120711)
>手塚漫画だったらロマンスかレイプが発生ry
おやめになってさしあげて
(ID:15239422)
大人になってからも楽しめる作品ばかりでしたね。>>13のとおり、こんな偉人が何人もいては堪らないw
大長編のもう一つの特徴は、作中で出会ったキャラの別れのシーンはどれも記憶に残るのが印象的ですね。
それ故に鉄人兵団のラストは当時映画館で泣きましたよ。
大好きな作品なので解説をとても楽しみにしています。
(ID:11918459)
ドラえもん大長編はDVD売ってたらまとめて買いたい・・・