皆様、こんにちは 協栄ボクシングジム 金平桂一郎です。 今回のテーマは、前回に続く、具志堅用高の防衛戦の軌跡と金平正紀の栄光と挫折についてです。 昭和51年に、山梨県で奇跡のタイトル奪取をした具志堅用高先輩とそのマネージャーであり、協栄グループの総帥先代正紀は、北は北海道から、南は沖縄県まで、延べ5年をかけ、全国行脚をいたしました。 いく先々で、会場は満員、地方に於ける、イベントや交流では引っ張りだこでありました。 これは、具志堅用高先輩が実際にその地で試合を行ったという、親近感も相乗効果を狙った、先代正紀の戦略は、ズバリ的中したのです! そして、父正紀の晩年に至る、最大の人生の野望であった、議員として、国会の赤絨毯を踏むこと… これに、最も近づいた時でもありました。 しかし、父自身の慢心により、最大の夢であった、国会になることどころか、父の人生に於ける、最大の痛恨事が起きたのであります。 以下、次号へ続きます。
金平桂一郎の興行師のひとりごと
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