海の前で暮らしているからといって、毎日海ばかり見てのんびりしているわけではない。映画館の前で暮らしているからといって、毎日映画を観ているわけではないのと同じように。東京での打ち合わせが立て込んでいるときは当然海からは離れているし、海の見える家にいても海を見る暇も無くひたすら原稿と向き合っているときもある。
雨の日ならまだしも、天気が最高に良かったりすると勿体ないなあと思う。こうやって原稿を書いているだけなら何も海の前じゃなくたっていいじゃないか。むしろ東京に住んでいれば通勤だって楽なのにともうひとりの自分が囁く(時もたまにある)。サーフィンや釣りが趣味ならばまだしも、僕自身の海との関わりと言えば、浜を散歩してビーチグラスを拾うか、ぼんやり水平線を眺めてここが地球であることを確認するか、年に何度かSUPをするかくらいなのだ(もっとも里山で営んでいる菜園は都会ではなかなか借りることのできないものだけれど)。
海の側で暮らしているからこそ、海の側に仕事場があるからこそ、海と遊べないことに対して折り合いをつけなければならない時もある。他の人はどうしているんだろう。ひょっとすると僕みたいにあくせく働かなくてもいい人ばかりなんだろうか。そんなことを考えていたとき、あるアーティストの海辺の仕事場を覗かせて頂く機会に恵まれた。
コメント
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おはようございます。
都会の生活に疲れてここに来てみたら、キレイな景色と新鮮な食べ物、何よりもやさしい地元の人たち癒されて移住してきた方が多いと聞きます。
自然が人をやさしくするのかもしれませんね。
人なつっこくて、世話好きな地元の人たちがだいすぎです。
(著者)
>>2
確かに都会にいた頃よりも「この町が好きだからここにいる」という人が多いような気がします。もちろん東京のような都会にも「ここが好きでここにいる」という人はいると思いますが、同じくらい「どうしてここにいるんだろう?いなきゃならないんだろう?」という人もいるんですよね。僕もそうでしたが。そういえばナインティナインの岡村さんも」「東京には馴染めない。住民票は今も地元の大阪に残したまま」と先日テレビで話されていました。
(著者)
>>3
地元のお年寄りの方と話していると僕と同世代の子供たちが都会に出て行ってしまったという方も少なくないです。一方の僕自身も自分が生まれ育った地元や肉親にはなかなかやさしくなれないけれど、故郷のあたたかさや親世代の思いには触れていたい。そんな血のつながりの中ではうまく行かない者同士の欠けているものが合致しているのかなと最近思ったりしています。