中国山地の空谷地区というところにある棚田から、新米が届いた。すぐに電話でお礼を伝えると「いやぁ、ほんのお裾分けですよ」という嬉しそうな声が返って来た。この棚田米を栽培されている堂願さんは農家ではない。普段は広島市内で老舗レコード店を経営されている方だ。コンサートの仕事を通じて出逢わせて頂いてから早いもので6年のおつきあいになる。お互いエンターテインメントを生業としながら、畑を耕しているのが共通点だった。
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コメント
(著者)
>>1
関係ない話なんかではないと思いますよ。文字通り「根を張っている」大地があるのは羨ましいし、そこを守り続けておられるのは素晴らしいことです。僕の血縁にはそういう故郷の大地がありません。僕が知る限り、祖父母の代からずっと根無し草のような暮らしです。そのことも今、僕が大地に「根を張った暮らし」を追い求めている理由なんだと思います。
(著者)
>>2
かしこおばあちゃんや堂願さんのような方々を見ていると、いつも「口を動かす暇があったら手を動かせ」と昔、母親に言われた言葉を思い出します。もっと踏み込んだ言い方をすれば「権力に叫び声を上げているよりも、笑いながら手を動かしている方が実になる」とでも言うのでしょうか。別に叫び声を上げている人々を否定しているわけではありませんが。ただ、どちらの存在も権力(や企業)にとってはあまり嬉しい存在ではないようですよ。分かり難くて申し訳ありません。
(著者)
>>6
僕も都会の片隅で暮らす消費者だったときはいつも何かに怯えていました。それは田舎に故郷がなく食べるものを育てている人が家族や親戚の中にいないからでした。ある日突然、食べるものを育てている人たちに「大根一本、一千万円出されても売らないよ」と言われたらどうしようという不安でした。それが今の暮らしにシフトチェンジしたきっかけです。いろいろ分かり難くてすいません。おいおい書きにくいことも含めてあからさまに書いていきたいと思っています。
(ID:51923679)
こんにちは(*^^*)畑を耕す理由。私の父は70代後半で、自分が産まれ育った土地、東京の山奥(今は家も無く、父のご先祖様のお墓があるだけ)そこに畑を作り、今でも週に一度は足を運び、山の上だからこんにゃく芋やじゃがいもが多いかな。父にとってその場は生き甲斐以外のなにものでもない。自分の故郷であり、両親の眠る土地。小さい頃からそこに楽しそうに足を運ぶ父をみてきた私はこの土地が無くなったら大変だろうな。父が亡くなってしまったらもうその場は封印されてしまうのだろうか、などと考える。この畑(山)は父の生きるべき場所。私は畑に対してそんな思いをもっています。あまり関係のないお話をしてしまい申し訳ありません(^-^;