久野です。
全国8か所での公開講座
「歴史勉強塾」(れきべん)の参加者有志で、
4日間台湾の研修旅行に来ています。
日本では朝夕冷え込むようになりましたが、
台湾南部は一日中まだまだ蒸し暑いです・・・。
一日目は高雄空港に到着して、すぐ海軍軍官學校へ。
日本では朝夕冷え込むようになりましたが、
台湾南部は一日中まだまだ蒸し暑いです・・・。
一日目は高雄空港に到着して、すぐ海軍軍官學校へ。
高雄は台湾第二の都市であり、
また日本でいうところの“江田島”の機能をもつところです。
日本で戦後の台湾の海の守り(中華民国海軍)には、
実は日本の貢献があったことはあまり知られてません。
学校の敷地内には、終戦後に日本から接収された
日本製魚雷や錨、そして丹陽俥葉が保存されています。
丹陽俥葉とは戦後の中華民国海軍旗艦であった「丹陽(タンヤン)」
――すなわち元大日本帝国海軍の駆逐艦「雪風」の
スクリュープロペラなんですね、コレが!
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この学校は普通ならば入場さえ困難ですが、
格別の御厚意により拝見できました。ありがたいことです。
昭和15年(1940)1月に竣工した「雪風」は、
日米開戦当初から最前線を転戦します。
多くの主要海戦に参加した「陽炎(かげろう)」型19隻のうち、
唯一終戦まで生き残ったのが「雪風」でした。
これまで私も8名の元「雪風」乗組員に取材しました、
そのうち7名があの壮絶な戦艦「大和」沖縄特攻作戦にも参加しています。
この「奇跡の駆逐艦」(あちら側での表現は“不死鳥”)
と言われた「雪風」は、終戦後の復員輸送に従事したのち、
中華民国に引き渡されて「丹陽」と改名。
中華民国海軍の旗艦となって蒋介石と共に台湾に移り、
29年の波乱に満ちた生涯を終えました。
日本の軍艦がいかに優秀だったかということを示すとともに、
元「雪風」乗組員たちにとっても大変な誇りとなっています。
さて日本側は「雪風」返還を望んだものの果たせず、
錨と舵輪だけが返還されました。
これはかつて海軍兵学校、
今は海上自衛隊の第一術科学校や
幹部候補生学校がある江田島に現存しています。
ただ、上記スクリュープロペラの説明板は少々残念でした。
台湾(中華民国)は親日国として知られていますが、
国家/軍としての公式な歴史認識は
中華民国側(≒東京裁判)史観なのです。
「雪風」の説明で「真珠湾攻撃から降伏まで数多くの主要海戦に参加」
(記事筆者註:「雪風」は真珠湾攻撃不参加)という行で、
わざわざ"sneak attack"(「卑怯なだまし討ち」)
という表現が使われていました。
そして「雪風」が終戦まで活躍したという説明では
"unconditional surrender"(「(国家全体の)無条件降伏」、
実際はあくまで軍隊の無条件降伏)なる用語が使われる始末・・・。
あの戦争とは本当は何だったのかについて、
中華民国が大陸から台湾へと“移動”を余儀なくされた
厳然たる事実を元に再考願いたいところです。
そして何より、日本人の方こそ
しっかりと史実を学んでゆかねばなりません。
( 久野 潤 )
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