なぜ人は恐怖を感じた時に笑ってしまうのか?


私たちはなぜ、恐怖を感じた時に笑顔になったり、クスクス笑ってしまうのでしょうか? 訳者は、富士急ハイランドの戦慄迷宮に初めて行った時、始終笑顔で、なおかつ丁寧にお化けキャストに挨拶、ねぎらいの言葉をかけていました。

ロッカーからキャストが出てこようものなら、「アヒャヒャヒャヒャ~」とお化けの存在以上に不気味な笑い声をあげたのを覚えています。怖かったので、平常心を保とうとすうるために、そんな行動に出たのでしょう。

恐れ戦くべきシチュエーションで笑いが出ると、不気味ですよね...。そして、実に不思議です。なんで怖いと笑ってしまうのでしょうか? そこで今回は、「怖い時に出る笑い」に対するio9の科学的考察をご紹介します。

では、以下から詳細をどうぞ。
 


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ちょっとした嫌なことを笑ってすましてしまうことは、誰にでも経験があると思います。しかし、ちょっとしたことではない、引ったくりや強盗、襲われたといった、もの凄い恐怖を感じるときでも笑ってしまう人がいます。この「恐怖に対する笑い」はこれまでにも議論されてきました。そして、io9は次の2つが一般的な仮説だと伝えています。


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「恐怖の認知」

犬が歯をむき出しにするのは、攻撃を意味しています。彼らの持つ武器を見せているのです。一方で、サルが歯を見せるのは、必ずしも犬のそれと同じではありません。

霊長類学者のシーネ・プレスコフト氏は、アカゲザルの研究をする中で、歯をむき出しにすることは彼らの社会的相互作用で大きな意味を持っていることに気付きました。それは、アカゲザルにとって、歯をむき出しにすることは争いの始まりでは無いということ。

大抵の場合、この笑いは優勢グループと劣勢グループが緊迫した状況の中で起こります。劣勢グループのサルが笑い、しばしば、その後に攻撃を加えようとしていた側が態度を軟化させるのです。アカゲザルは武器を見せるのではありません。彼らは優勢グループに服従の意を表しているのです。危険が及んでいる時、彼らは笑顔を作ります。この行動は「fear grinning(恐怖による笑顔)」と呼ばれています。


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io9によると、プレスコフト氏は、サルの笑顔は危機的状況でのみ使われるわけでは無く、日々の友好的なアクティビティでも笑い合うと伝えているそうです。人間も同様に認証や喜び、同情、または思いやりを表すときに、コミュニケーションのひとつとして笑顔を作ります。そして、上記のアカゲザル同様に危険な状況に陥った時にも笑顔が出てくるのです。

また、自分に危険が及ぶ時だけでなく、その対象が自分以外の誰かであっても、なだめようとして笑うのだとか。以下は、有名な「ミルグラム実験」を例とした仮説です。

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「恐怖の否定」

人間の恐怖による笑顔の可能性はもう一つ考えられます。おそらく、私たちは、自分たちが危機的状況に陥っているということを認めない可能性があります。自分は危なく無いと、激しく否定しようとして笑いが出てくると考えられるのです。

スタンリー・ミルグラムが行った有名な「ミルグラム実験」があります。この実験は、応募して来た被験者を「教師」役とし、別室に通したサクラの「生徒」役に電気ショックを与え、被験者の反応を見るというものです。教師役は生徒役に質問を与え、生徒役が間違えた答えを出すと電気ショックを与えるよう指示されました。そして、質問の答えを間違える度に、電気ショックのボルトを上げなくてはなりませんでした

実際には、生徒役は電気ショックを与えられていません。電気ショックを与えたタイミングであらかじめ録音されていた生徒役の、苦痛を訴える声をインターホンを通して被験者が聞いていただけです。しかし、そんなこととは知らない被験者達は、耳に入ってくる悲鳴に近い声を聞き、拒否する態度を取っていましたが、中には神経質に笑い始めた者もいたのです。彼らは、笑う以外になす術が無かったと考えられます。

また、1920年代にカーネイ・ランディスという心理学者が行った、ボランティアにネズミの頭部を切断させ、その時の表情を写真撮影するという実験では、被験者達の引きつった笑顔が写されていました。被験者はこの恐ろしい実験をさせられている最中、笑顔を作っていたのです。

神経科学者のV.S.・ラマチャンダン氏は、笑いは、その周囲に居る人たちへの信号の一種であると信じています。状況が恐ろしい、または脅されているように見えても、笑うことで、その周囲にいる人たちに「危険は去った」、「もう危険ではない」と伝えることが出来ます。

自分が脅かされている、また、私たちの周囲の人が脅されている側で笑うことで、「それは全く危険ではないのだ」と目の前にある危機を否定したり慰めているのでは無いでしょうか。また、そうすることで、危害を加えようとする人にも「そんなことはたわい無ないことだ」と思わせようとしている可能性もあります。


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「恐怖の認知」と「恐怖の否定」。相容れないふたつの仮説ですが、io9のイングリス記者は、以下のようにまとめています。

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冒頭の質問に戻ってみましょう。恐れを抱いた時や不快な気分に成った時に笑顔になる、または神経質に笑ってしまうのは何故か? 進化の歴史を辿ると、危険が及んでいると認識し、攻撃してこようとする相手に対して自分は反抗する意思が無いことを伝える為に笑顔になるとのこと。

つまり、私たちは率直に恐怖を認識しているのです。一方で、心理学者や神経科学者の意見に耳を傾ければ、私たちは極端なまでに危険というものを否定したいが為に笑顔を作るようです。

私は、この2つの主張をよりシンプルにまとめたいと思います。『Laughing Screaming』という本は、コメディとホラーの共通点に注目しています。著者は、他の映画を見た時には起こらない、視聴者の肉体的反応を引き起こすという事実を元に、コメディとホラーはリンクしていると主張しています。

適切な状況下では、涙を流すことは笑いに似ており、また喜びと恐れも似ているように見えます。おそらく、感情を介して自動的に発せられる身体的反応は限られており、(笑顔は)しかめっ面の前後の表情、もしくはポジティブまたはネガティブの発作的表情なだけなのかもしれません。


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訳者は、冒頭でも書いたように、「戦慄迷宮」で恐怖を感じながら笑った経験があります。あの時のことを思い出すと、笑顔を作ることでお化けのキャストに「私は危害を加えないので、あなたも必要以上に良い仕事をしないでください」と降伏の意を表し、また、極度に恐怖を感じた際には「こんなの大したことじゃない」と自分を納得させるために笑っていたのでは無いかと思います。

恐怖から来る笑顔や笑いは、必ずしもひとつの理由から来るのでは無いと自身の経験から思いますが、みなさんはどうお考えになりますか?


[via Center for Nonverbal Studies,Psychology Today,Laughing Screaming, Laughter and Smile in Barbary Macaques. via io9

(中川真知子)

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RSS情報:http://www.kotaku.jp/2013/10/laughing_screaming.html