重要なのは「人が美しいと感じる法則性」であって、決して「映画制作上の文法」ではないんですよ。 両者はイコールではない。 ゲームと映画、楽しみ方自体が違うので、私は「映画のような~」という修飾詞をゲームに対して用いること自体、 大間違いだし、関係者とユーザーに相当失礼だと強く思います。 よって、この記事にも一切賛同出来ませんし、切り口も間違いだと思います。 また、ゲームにも映画のような演出が出来るんだ、とか、ゲームと映画の境界線を越えるんだ、と言って ゲーム作ってる「監督」と、映画作って大失敗した会社と、ゲームタイトルが有りましたね? これも、ゲームを作る者の考え方として如何なモノかと疑問に思ってます。 ゲームはユーザーが能動的に愉しむモノ、映画はユーザーが受動的に愉しむモノ。 その根本的な違いをはき違えてる方、業界にもユーザーにも増えすぎではありませんか?
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コタク・ジャパンチャンネル
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重要なのは「人が美しいと感じる法則性」であって、決して「映画制作上の文法」ではないんですよ。
両者はイコールではない。
ゲームと映画、楽しみ方自体が違うので、私は「映画のような~」という修飾詞をゲームに対して用いること自体、
大間違いだし、関係者とユーザーに相当失礼だと強く思います。
よって、この記事にも一切賛同出来ませんし、切り口も間違いだと思います。
また、ゲームにも映画のような演出が出来るんだ、とか、ゲームと映画の境界線を越えるんだ、と言って
ゲーム作ってる「監督」と、映画作って大失敗した会社と、ゲームタイトルが有りましたね?
これも、ゲームを作る者の考え方として如何なモノかと疑問に思ってます。
ゲームはユーザーが能動的に愉しむモノ、映画はユーザーが受動的に愉しむモノ。
その根本的な違いをはき違えてる方、業界にもユーザーにも増えすぎではありませんか?