礼讃

礼讃・第81回「デートクラブ」

2015/03/01 13:00 投稿

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 二十歳になってから、古代ローマ詩人オウィディウスの『恋の技法』という本を読んだ。

当時、伝えられていた真面目な教訓詩のパロディだが、紀元前生まれの男性が書いたとは思えないユーモアのある恋愛指南がちりばめられている。彼は「男たちは欺くことはあるのせよ、あなた方には損はない」と言う。渡辺淳一のように医学的見地を基にした考察ではないが、オウィディウスの方が男と女の根源的な違いから、作法のアドバイスを楽しく教えてくれる本だと思う。

「男は愛欲を隠すのが下手だが、女はもっと秘め隠した形で愛欲を抱くものだ」

そうかもしれない。

「女の欲情は、われわれのそれよりも激しく、いっそう狂乱の様相をおびている」

そうなのかしらと二十歳になったばかりの私は思った。

「女という女は、ことごとく望んでいる」らしい。

「身を許すにせよ、許さぬにせよ、言い寄られることが嬉しいのだ」

確かにそれはある。

「彼女は、自分がして欲しいと言っていることを、その実、恐れているのだ」

オウィディウスは、男性が執拗に言い寄ることを願っている女性を追撃しろと言う。何と強気な男性だろう。男性に清潔を心掛け、日焼けするように勧める。

「女が接吻を与えてくれなかったら、与えられないものは奪ったらよかろう」

と、強引にキスしろと言う。

「抗いながらも、女は征服されることを望んでいるのだ」

確かに一理ある。

「接吻も奪ってからは満願成就までになにほどのことがあろうか」

力ずくでものにしてもいい、と言うのだ。

「女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは与えたがっているものをしばしば意に沿わぬ形で与えたがるものだ」

なるほど。実に的確な分析だ。二千年前から男女の心理は変わっていないらしい。

彼は女性に対する指南として

「愛というものは技術によってこそ、永続きするものなのである」と言う。

男性に愛され続けるには学ばなくてはいけないのだ。技術が必要なのだ。

「まだ青春の日々を過ごしているうちに、遊ぶがいい」という彼の教えに私は従った。

「釣り針は絶えず垂らしておくがいい。こんなところにまさかと思う淵にも魚はいるだろう」

男性の心をつかみたい女性は、あらゆる場所に腰を据え、全身全霊を傾けて魅力的に見えるよう心掛けねばならないと説く彼の教えを守り、私はどんな場所でも出逢いの機会を大切にした。

たやすく体を許すようなことを言ってはいけないが

「男が強く求めるものを、にべもなく拒んだりしてもいけない」

もっともだと思った。

しかも、楽しいお遊びに交えて、たまにぴしゃりと撥ねつけることも大切だという。

「安全に得られる快楽というものは、得られたところでそれだけ楽しみは少ない」

金言だと思った。

「十分使用に供しても、あの部分だけは損耗のうれいがない」

そうだなと思い、私は二十歳になってから、積極的に男性と体を重ねた。

ステディーな健ちゃんとハイソサエティの紳士しか知らないのでは男性の評価に偏りが出てしまうと危惧したこともある。

そこで私が登録したのは、池袋のデートクラブだった。渋谷は近過ぎる。新宿は恐い。池袋の雑多な雰囲気や距離感が良かった。

夕刊紙で見つけたデートクラブに電話をすると、事務所に面接に来て下さいと言われた。池袋駅の北口を出てすぐにある電話ボックスから連絡を下さい、と清水さんは言った。パピヨンの白石さんより若い声だった。

私は翌日、池袋を訪れた。池袋演芸場で寄席を見て以来だった。

北口から電話をすると、駅近くのマンションに案内された。教えられた部屋番号のチャイムを鳴らすと、ブレザーを着たら、ゴルフ場のクラブハウスにいそうなファッションの若い男性がドアから顔を出した。

「木山さん? どうぞ中に入って」

私を部屋に招き入れ、彼はドアに鍵をかけた。

部屋には五十年配の男性が電話中だった。

清水さんは、電話の彼に視線をやり「彼は三浦で、僕が清水です」と自己紹介し、彼らは交代で事務所番をしていること、男性はこの事務所で女の子の写真とプロフを見て選ぶこと、女の子の呼び出しはポケベルにすること、紹介後のデートは女の子次第で自由な交際ができることなど、デートクラブのシステムを紹介してくれた。

「じゃあ、この紙にプロフィール記入して。お客さんが見るものだから、丁寧に書いてね」

と、清水さんは言った。

私は、性感帯という項目に戸惑った。

「感じる所を適当に書けばいいよ。攻められたくなかったら、わざと感じない所を書いてもいいし」

「そんな嘘ついて良いんですか」

「まさか、ここで彼氏探そうってわけじゃないよね?」

「ええ。勿論違います。でも一回きりじゃなく長く付き合える人が良いです」

「了解。なるべくそういう人を紹介するよ。じゃあ、次は写真撮ろうか」

「ここでですか?」

「そうだよ。化粧直す?」

「お化粧はしてません」

「珍しいな。じゃあ、こっち向いて」

と言い、清水さんはポラロイドカメラのシャッターを押した。

これで登録は終わりだった。顔写真入りの公的な身分証明書を持参しろとも、病院へ行けとも言われなかった。宣材用のカメラマンは電話番のお兄さんだった。研修があるかなんて聞くまでもないだろう。白石さんの事務所とはまるで違った。

 

初めて紹介された水谷さんは大学の講師をしている三十代の男性だった。

池袋西口にある談話室滝沢で対面した。喫茶店なのにコーヒーが一杯千円する店だった。

 チーズケーキが美味しいよ、と言って注文してくれたのだが不二家やコージーコーナーのケーキより味は悪かった。しかしウェイトレスの接客は感じが良く、このシティホテル並みのコーヒー料金は、ウェイトレスの教育費と広々とした落ち着いた雰囲気のスペース代なのだと納得した。

大学の講師と聞いて、アカデミックな話を期待していたら、水谷さんの口から出るのは、愚痴が多かった。

「僕は今、非常勤講師として四つの大学で教えているんだ」

 

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