高橋源一郎は十年前(2003年)に、身近な欲望しか持たない「喪失の世代」が登場したことを、これは「最先端の現象」だと書いている。
三年前にインターネットの巨大掲示板で「欲しがらない若者たち」を語るスレッドができ、「さとり世代」という言葉が書き込まれた。さとり世代は2002年~2010年度の学校教育を受けたゆとり世代に重なるという。
1980年代半ば以降に生まれた彼らの消費傾向は、車に乗らず、ブランド物も欲しがらず、スポーツをせず、酒は飲まず、旅行もせず、恋愛にも淡白で浪費をしないという。上を目指す気概がない彼らからは、覇気を感じない。 生きるエネルギーになる欲望がなければ、無気力になってしまうと思うのだが、安くて機能性と利便性ばかりのものに囲まれていると、自分の欲望が何かさえわからなくなってしまうのかもしれない。
本物の楽しみや感動、達成感を知らずにフェイスブックやツイッターにラインとたくさん繋がっていることで満足し、恋愛も、インターネット越し、という彼らは不幸だと思う。
秋葉原駅の近くに、地上七階地下一階のビル全館がアダルトグッズ売り場という大人のデパートがあるという。この店が取り扱う商品は七百五十種で、休日は千人を超える客が訪れると知り驚いた。
しかも、大人のデパートは現在国内に九店舗あるというのだから、利用客が特殊な人間だとは言えないのだろう。恋愛に淡白な草食系と言われ、ネットなしでは生きてゆけない若者がアダルトグッズを使うようになったら、世も末だと思う。
ゆとり世代を指す十代後半から二十代半ばという年齢の頃、私は毎日浪費していた。その消費が無駄遣いだったとは、ちっとも思わない。
毎日車に乗り、ブランド物を買い、スポーツをし、お酒も飲んだし、よく旅行をした。
恋愛をしていない時期はなかったし、セックスもたくさんした。
私は二十四歳までインターネットを全く使っていなかったけれど、それまでの人生の方が充実していたように思う。インターネットは便利だったけれど、それまで不便な生活だったかというと、そんなことはない。テレビとインターネットと携帯電話を一切使わなくなって五年になるが、それらのものと離れてからの方が世の中をよく見通せるようになった。
こうして半生を記してみると、アナログ時代の思い出の方が深く自分の身に染みていることがわかる。
八十年代に俵万智が「ただ君の部屋に音をたてたくてダイヤルまわす木曜の午後」という歌を詠んだ。ダイヤルのある自宅の黒電話やピンク色の公衆電話を知らないデジタルネイティブの携帯電話世代の人には、この歌の情緒がわからないだろう。
常にネットで繋がり、いつでもどこでも携帯電話が通じることが当たり前で生活していると、人生の景色と情感が重ならない。電話が人と一緒に動くことは、便利なようで、人から風情を奪ってしまう。
淡白だという人たちが、スマートフォンの小さな画面に齧り付いている姿は、ぬめりと冷たさと暗さの中に妙に精力的な部分が見え、不安に煽られているように私は感じる。
それは、恋愛や結婚はしたいけれど、色々大変だとか面倒だと言い訳して、アダルトグッズでオナニーする人と似ていると思う。
インターネットがなかった時代は、人はもっとストレートにエネルギッシュだった。
不景気が長く続き、野心がなく、最低限の暮らしができれば良いという安定志向の人が多いと聞くと、高校を卒業した時にはバブル景気が弾けていた私でさえ、理解に苦しむ。ある程度の年収があって、自分の趣味が楽しめたら良いとか、年金暮らしの高齢者みたいなことを若者が言うのは本音なのだろうか。本当の自分の欲望を押さえつけ、妥協と我慢をしているだけではないのかと、思う。
もしそれが無意識の志向ならば切ないけれど、私の二十歳前後の生活は、人生で一番お金を動かしていた時期だった。大袈裟でも何でもなく、同世代の普通の勤め人の年収を一週間で稼ぎ、一週間で使い切ることも珍しくはなかった。
今のようにコンビニのATMで二十四時間お金を出し入れ出来る時代ではなかったから、いつどんな賭場に誘われても打てるように、現金を用意していた。
当時は、銀行のキャッシュディスペンサーは、朝の八時四十五分にならないとお金を引き出せなかったし、祝日は休業だった。今では競馬場内にATMコーナーが設置されているところもあるけれど、一昔前は、途中でパンクしたら、競馬場の外へ出て、キャッシュディスペンサーで資金を補充する人をよく見かけた。一昔前と言ってもJRAの競馬場内に初めてATMが設置されたのは2004年の中山と阪神で、東京競馬場は2007年になってからなので、まだ最近の話である。
健ちゃんは競馬場周辺の地理に詳しかったので、仲間からよく携帯に電話がかかってきた。健ちゃんは冷静に「今、どこにいるんだ?」と尋ね、「そこからなら府中本町駅のイトーヨーカドーだな。西門から駅の通路は使わないで下の道を行った方が早いぞ」と、答える人だった。
私は、最終レース前に資金が底をつくような賭け方はしないので、CDに走ったことは一度もない。
パドックを歩く馬を見て、これは厚く張りたいと思った時は、その日、馬主席にいるであろうおじさんや、必ず指定席で観戦しているお金持ちのおじさんを呼び出し、お金を貰う。借りるのではない。私の買い目を情報として売るのである。
これは、旅打ちでヒントを得た。どの公営ギャンブルにも、露天の予想屋がいる。彼らは、予想した買い目を売る。レース場は勿論、ウインズ、サテライト、ボートピアといった場外発売所の近くにもいる。
予想を売る職業でも、車券師や馬券師という人がいて、彼らは買い目を指示し、当たった場合だけ客から上がりを受け取る。自分では投票券を買わないらしい。
屋台店の予想屋は、過去の的中投票券のコピーを飾ったり、的中例を書いた模造紙をベニヤ板に貼ってギャンブル場を訪れた人に宣伝する。買い目を書いた紙を売るのだが、料金は安い。的屋風情というか、香具師の雰囲気がある。
車券師や馬券師というのは、インターネットどころか電話投票のサービスさえなかった時代からいるが、大々的に宣伝することなく、自分の予想で勝った客の上がりで生計を立てている。一匹狼で、これを生業にしている人はそういない。
私は、初めて車券師というおじさんを紹介された時、彼の予想の精度の高さに仰天した。
当時、まだ車番連勝式勝者投票券は発売されていなかったというのに、今で言うところの二車単をきっちり当てるのだ。一着と二着の車番を着順通りに予想する。競輪の場合、最大七十二通りある。これを車券師のおじさんは決まり手まで予言する。二千m近い距離を、女性のウエストより太いむっきむきに鍛え上げられた腿を持った九人の競輪選手が、時速六十km以上のスピードで走り、命懸けで戦うレースの一着と二着を着差まで断言する。二車単が登場するまでは、二枠単が主流馬券だったから、三十三分の一の確率だった。
「最終バックの風で、あの選手が先行のこの選手をタイヤ差で捲る」と、おじさんは言う。
麻雀でも、文楽でも出てきた風がここにも。
競輪の風は、向かい風や追い風と言った風向きのことなのだが、ラインのどの位置で走るかによって、風圧の影響で加速がついたり減速したりする。
「先行選手の後ろを走る二番手のマーク屋が追い込むんじゃないですか」と、尋ねると、おじさんは「差せない」と答える。
自転車のタイヤ差を予想するなんて、競馬の鼻差を当てるようなものである。
サラブレッドが二千m走ったら一着と最後尾の差が十馬身離れるのは珍しくない。優勝するであろう馬と大差がつくという予想はできても、その差が、何馬身になるかまではわからない。まして、一着と二着馬の着差は、当てようがない。
ところが、競輪は、車券師のおじさんの予想通り、タイヤ差でゴールするのである。
展開の推理の複雑さと面白さにおいて、競輪はギャンブルの頂点に立つと思う。競輪を知らずしてギャンブルは語れない。競輪は、客の熱さもピカ一だ。
私は、競馬ならば井崎脩五郎よりはずっと的中率が高かったし、投資に関心の強い人脈があったので、私の馬券予想情報を高値で売ることに試行錯誤を繰り返していた。
小沢さんは、顧客に投資助言する人だが、自身も金融商品を売買して所有する、ポジションを取って勝負するポジションテーカーなので、馬券を買い、予想を売る私の気持ちを理解してくれたのだと思う。
小沢さんが、客観的に見える分析よりヘッジファンドのオーナーたちのポジショントークを重視していることも勉強になった。デリバティブという言葉さえ知らなかった私も、彼らと付き合ううちに、自分の意見を構築するために、いかに必死に分析を深めてポジショントークをするかを学んでいった。
彼らはファンドの運営者であると共に、巨額の自己資金をファンドに投入し、リスクを背負っている。桁は違うが、自分の財産が日々激しく増減する点では、私と同じなのだ。
商品先物で、大豆やトウモロコシ、ゴムや粗糖を億単位で買っている人や、金やパラジウムを買っている人もいた。海外の市場が開くたびにパソコンの前で一喜一憂している姿は、レースが終わった直後の私と何らかわらない。けれど、株や先物取引のスケールを見ていると、私がしているギャンブルは博打とも呼べない小さなものに思えてきた。
私が競馬で一点何十万賭けようと、健ちゃんは一点数百円でマイペースに遊んでいた。
私が十代の頃は、馬券購入の際に使用するマークシートの投票カードは裏が白紙だった。
今はどのマークカードも両面印刷になってしまったが、裏が白紙だとメモ用紙に使い勝手が良く、私は料理のレシピをマークカードの裏に書き留めていた。
マークシートの記入は苦手なので、本来の用途に使うことは滅多になかった。
よく行く競馬場とウインズの口頭窓口がある場所は覚えていた。口頭で窓口の女性に買い目を伝えることで、気合が入るという側面もある。言葉に出すことで、馬券に魂を入れるという思いがあるから、私は、自動勝馬投票券発売機で買うのは好きじゃない。
銀座通りや新橋のウインズではそう目立たないが、売場面積が狭い渋谷や後楽園の百円単位で発売しているフロアで、中山の10Rのサクラバクシンオーの単勝に五十万、なんて言うと、周りのおじさん達の視線が痛い。これで気が引き締まる。金額の威力は絶大で、なれなれしく声を掛けられたことがない。
高額になると機械では払い戻しができないので、窓口で換金する。緑色でJRAと書かれたクリーム色の帯封がかかった札束を、窓口で毎週のように受け取っていたのに、襲われたこともない。
レース場では、ガラス張りの空調が効いた指定席をとる。馬主や来賓の知り合いがいる時は、ゲストルームの観覧席に呼んでもらう。
観劇でも同じだが、私は一番良い席のチケットを買うようにしていた。
レース前の、競馬で言うとパドック、競艇ではスタートと集会表示、競輪の地乗りや脚見せと呼ばれるスタート紹介は、必ず近くで見る。ガラス越しでは感じられないものが、そこにある。
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