礼讃

礼讃・第55回「共働き家庭の衝撃」②

2014/12/15 13:00 投稿

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 私が健ちゃんの実家で、初めて母の晴子さんに相談したのは、健ちゃんが着たワイシャツの袖と首回りの汚れが落ちないということだった。

健ちゃんはスーツを着ないが、作業服の下にワイシャツを着、ネクタイを締めて出勤する。夕方帰宅すると、シャツの襟は黒く汚れている。それが恥ずかしくてクリーニング店に出せないでいた。洗濯機で洗っても、白くはならなかった。

いっそのこと色の濃いカラーシャツを着てはどうかと提案したのだが、それは駄目だと言う。

「健ちゃんはスコップで穴を掘ったり、ブルドーザーに乗ったりしてるのかしら。作業着も土埃にまみれて帰って来るんですよ」

私が訝しげに言うと、晴子さんは

「花菜ちゃんは健介の仕事が土方だと思ってるわけじゃないだろうね。健介はうちみたいな下請けじゃなく、ゼネコンで現場監督しているんだよ。そうは言っても、土木工事は土砂が多いから衣服が汚れるのはしょうがない」というようなことを言った。

 シャツや作業着の襟や袖は、固形石鹸で部分洗いしてから洗濯機に入れるのだと教えてくれた。健ちゃんが子供時代は、部活のユニフォームに石鹸を塗って、浴室の床のタイルの凸凹でしごき洗いしていたという。

 ぬるま湯に石鹸を溶かした石鹸水を盥に作り、シャツを浸し、汚れを浮かしてから、襟や袖に石鹸を塗り、洗濯板に擦りつけて洗うのだと言い、晴子さんは私に、ミヨシマルセル石鹸と洗濯板をくれた。

 頼めば何でもくれそうだったので、毎日精米していたら出るであろう米糠を所望した。

私は上京時に、西の祖母から糠床を分けてもらい、毎日糠漬けを作っていたのだった。糠床は少しずつ減ってゆくので、塩と糠を足すのだが、スーパーで売っている煎り糠を使ってはいけないと祖母から注意されていた。近所の信頼できる米屋で生糠を分けてもらいなさいと言われたのだと晴子さんに話すと、喜んで精米機からまだ温かい米糠を袋に入れてくれた。

「花菜ちゃんは、女の多い家庭で育ったからわからないだろうけど、男は臭いんだからね」

 と言って『トイレその後に』という細長い缶のスプレーをくれた。その後、晴子さんがくれる防臭製品は『無香空間』『消臭力』『消臭元』と変わっていったが、「男は臭いもの」と言って、譲らなかった。

 建設会社を興した当時は、作業員が住む寮のトイレ掃除まで晴子さんがしていたという。

「昔は防虫効果のある成分に香料を混ぜた強烈な匂いがするカラーボールをいくつもぶら下げて、トイレの悪臭を覆い隠していたのよ。最近は便利なスプレーが売っているのよ。男がトイレに入った後にシュッとすれば、臭い空気を消せるんだから」

というようなことを言って渡されたのが『トイレその後に』だった。

 

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