「ケーリさんのこと」 2014年4月25日
私がブログで「雑役さん」と書いている懲役女性は「衛生係」という役目の人たちです。堀江貴文さんや鈴木宗男さんが刑務所でついていたお仕事としても有名になりましたよね。
拘置所では、食事を配ったり、受刑者の洗濯物を管理したり、懲役判決が確定して刑務所への移送を内職しながら待っている受刑者に作業の材料を用意したり、出来高を集計したり、自弁購入品を配る手伝いをしたり、掃除やバリカン散髪、給湯、開缶もする。1日3回配る熱い番茶を淹れるのも彼女たちの仕事。
ラーメンスープを作るような巨大な銀色の寸胴鍋にお茶パックを入れて用意するのですが、ヤケドしそうな熱いお茶を長い木の柄がついたひしゃくで、プラスティック容器に数十室も注いで回るのは大変な作業です。お茶は食事の前に配られるのですが、東京拘置所は真夏でも熱いお茶を出すので暑い時期はきつそう。
「お茶用タッパーポット」と呼ばれる容器を満たすまでひしゃくで注ぐ回数と部屋数に3を掛けると数百回になるわけで、刑務官に見張られ、巨大鍋を2つ載せた台車を押しながら迅速かつ丁寧な作業を求められるお茶の配当は、結構過酷だと思います。
現場では彼女たちのことを「ケーリさん」と呼ぶことを東拘に来て初めて知りました。埼玉の担当だった麗子さんは「昭和の東拘では衛生係なんて呼んでいなかったわ。雑役よ」と言っていたので、私もブログで気軽に雑役と書いてきたのですが、これからは「ケーリさん」と呼ぶことにします。
小説の校正でゲラに出版社からのチェックが入った多くが、差別的表現なので違う言葉にしてください、という指摘だったことで、もしかして「雑役」もその類に入るのかも?と思った次第です。
ケーリさんは桃色の作業服を着て、腰には鮮やかな黄色のエプロン、頭には共布のスカーフを三角に折って髪を束ね、きびきび働きます。正直言って、罪を犯した人とは思えない、普通より真面目な人ばかり。今月は大幅にメンバーチェンジがあり、新ケーリさんが増えました。
初対面の時には必ず「あっ木嶋佳苗だっ!」という顔をされますが、私と直接会話はできません。視線を合わせることも禁止されているように感じます。例えば、私が居室から面会室まで歩いている途中でケーリさんに会うと、彼女たちはサッと壁を向きます。私が廊下を通り過ぎるまで直立不動の姿勢を崩しません。
ケーリさんは朝の7時過ぎには我が棟に出勤し、4時45分に夕食の空下げと廊下のモップ掛けが終わると「今日も一日ありがとうございました。おやすみなさい。失礼します。」と言って、自分たちの居室がある棟に戻って行く。
一日中監視されながら、強制的に「ありがとうございました」「すみません」と言い続けて働くのって物凄いストレスだろうけど、我が棟のケーリさんたちは、本当にいい笑顔を見せるんです。
私のヘアカットをしてくれた天海祐希似の長身ケーリさんに、ありがとうってお礼を言ったらにっこり笑ってくれて、私はなぜか泣きそうになった。あのケーリさんがいなくなってとても寂しい。埼玉の麗子さんのことを思い出す時と同じ気持ちになっている自分に驚いている。
「『日曜に想う』に思う」 2014年4月27日
私が朝日新聞を購読している理由の半分は、毎週日曜2面に掲載されるコラム「日曜に想う」と毎月最終木曜掲載の論壇時評を読むためです。
論壇時評を書いている高橋源一郎さんの近影をとても楽しみにしています。記事で取り上げられた本やネット情報も参考にしています。筆者が高橋さんでなくなったら読まなくなる気がするほどのお気に入り。
それに輪をかけて気に入っているのが「日曜に想う」。このコラムは4月まで4人の記者が交代で書いていた。特別編集委員と論説主幹という肩書きの男性たちだ。
私はこの中の1人、山中季広さんの大ファンです。
初めて彼を知ったのは、東京社会部長として書いていた「ザ・コラム」だった。それ以来、新聞が届くとまずは彼の署名記事を探すようになった。彼の書く記事は、とてつもなく面白い。必ず私の知らないことが書かれている。題材は毎回異なり、色んな国に出張して集めた情報は、今まで読んだことのないニュースばかりでいつも驚かされるのだ。
ソーシャルメディア全盛の時代に新聞が存在する意味は、彼のような記者が支えているのだと思う。 香港赴任中の特別編集委員である彼は「特派員メモ」を書くこともあるのだが、必ず載るのは「日曜に想う」。
このコラムが4月からリニューアルした。今月から「3人が担当します。」と告知があった4月の1週目、トップバッターは山中さんだった。
ということは、4月の4週目も彼の記事が読める。朗報、のはずだった。
「コラムの装いも少し変えました。」という一文がなければ。
何と「装い」の変化で記者の写真が消えたのだ。1月のコラムで山中さんは話題のグーグルグラスを一足お先に米国で試してきたことを取り上げ「着けた雰囲気は当欄右上の写真をご覧ください」と書いていた。
そうなんです。このコラムの右上にはいつも記者の写真が載っていたのです。
山中さんは、特にハンサムだとか私の好きなタイプのルックスというわけじゃないけれど、写真があるとないのじゃ大違い。高橋源一郎さんの近影同様、眺めるだけで幸せな気持ちになる。筆者の写真はそういう感情を読者に与えていることを朝日新聞の偉い人はわかっていないんじゃなかろうか。 「日曜に想う」のリニューアルを残念に思いつつ、波立つ南シナ海を機内から見下ろしドラえもんの姿を探し続けた山中さんのお顔を想像してポーッとなった日曜の午前10時。ケーリさんがお湯を注いでくれたミルクココアを飲みながら、「日曜に想う」を5回読みました。
私がブログで「雑役さん」と書いている懲役女性は「衛生係」という役目の人たちです。堀江貴文さんや鈴木宗男さんが刑務所でついていたお仕事としても有名になりましたよね。
拘置所では、食事を配ったり、受刑者の洗濯物を管理したり、懲役判決が確定して刑務所への移送を内職しながら待っている受刑者に作業の材料を用意したり、出来高を集計したり、自弁購入品を配る手伝いをしたり、掃除やバリカン散髪、給湯、開缶もする。1日3回配る熱い番茶を淹れるのも彼女たちの仕事。
ラーメンスープを作るような巨大な銀色の寸胴鍋にお茶パックを入れて用意するのですが、ヤケドしそうな熱いお茶を長い木の柄がついたひしゃくで、プラスティック容器に数十室も注いで回るのは大変な作業です。お茶は食事の前に配られるのですが、東京拘置所は真夏でも熱いお茶を出すので暑い時期はきつそう。
「お茶用タッパーポット」と呼ばれる容器を満たすまでひしゃくで注ぐ回数と部屋数に3を掛けると数百回になるわけで、刑務官に見張られ、巨大鍋を2つ載せた台車を押しながら迅速かつ丁寧な作業を求められるお茶の配当は、結構過酷だと思います。
現場では彼女たちのことを「ケーリさん」と呼ぶことを東拘に来て初めて知りました。埼玉の担当だった麗子さんは「昭和の東拘では衛生係なんて呼んでいなかったわ。雑役よ」と言っていたので、私もブログで気軽に雑役と書いてきたのですが、これからは「ケーリさん」と呼ぶことにします。
小説の校正でゲラに出版社からのチェックが入った多くが、差別的表現なので違う言葉にしてください、という指摘だったことで、もしかして「雑役」もその類に入るのかも?と思った次第です。
ケーリさんは桃色の作業服を着て、腰には鮮やかな黄色のエプロン、頭には共布のスカーフを三角に折って髪を束ね、きびきび働きます。正直言って、罪を犯した人とは思えない、普通より真面目な人ばかり。今月は大幅にメンバーチェンジがあり、新ケーリさんが増えました。
初対面の時には必ず「あっ木嶋佳苗だっ!」という顔をされますが、私と直接会話はできません。視線を合わせることも禁止されているように感じます。例えば、私が居室から面会室まで歩いている途中でケーリさんに会うと、彼女たちはサッと壁を向きます。私が廊下を通り過ぎるまで直立不動の姿勢を崩しません。
ケーリさんは朝の7時過ぎには我が棟に出勤し、4時45分に夕食の空下げと廊下のモップ掛けが終わると「今日も一日ありがとうございました。おやすみなさい。失礼します。」と言って、自分たちの居室がある棟に戻って行く。
一日中監視されながら、強制的に「ありがとうございました」「すみません」と言い続けて働くのって物凄いストレスだろうけど、我が棟のケーリさんたちは、本当にいい笑顔を見せるんです。
私のヘアカットをしてくれた天海祐希似の長身ケーリさんに、ありがとうってお礼を言ったらにっこり笑ってくれて、私はなぜか泣きそうになった。あのケーリさんがいなくなってとても寂しい。埼玉の麗子さんのことを思い出す時と同じ気持ちになっている自分に驚いている。
「『日曜に想う』に思う」 2014年4月27日
私が朝日新聞を購読している理由の半分は、毎週日曜2面に掲載されるコラム「日曜に想う」と毎月最終木曜掲載の論壇時評を読むためです。
論壇時評を書いている高橋源一郎さんの近影をとても楽しみにしています。記事で取り上げられた本やネット情報も参考にしています。筆者が高橋さんでなくなったら読まなくなる気がするほどのお気に入り。
それに輪をかけて気に入っているのが「日曜に想う」。このコラムは4月まで4人の記者が交代で書いていた。特別編集委員と論説主幹という肩書きの男性たちだ。
私はこの中の1人、山中季広さんの大ファンです。
初めて彼を知ったのは、東京社会部長として書いていた「ザ・コラム」だった。それ以来、新聞が届くとまずは彼の署名記事を探すようになった。彼の書く記事は、とてつもなく面白い。必ず私の知らないことが書かれている。題材は毎回異なり、色んな国に出張して集めた情報は、今まで読んだことのないニュースばかりでいつも驚かされるのだ。
ソーシャルメディア全盛の時代に新聞が存在する意味は、彼のような記者が支えているのだと思う。 香港赴任中の特別編集委員である彼は「特派員メモ」を書くこともあるのだが、必ず載るのは「日曜に想う」。
このコラムが4月からリニューアルした。今月から「3人が担当します。」と告知があった4月の1週目、トップバッターは山中さんだった。
ということは、4月の4週目も彼の記事が読める。朗報、のはずだった。
「コラムの装いも少し変えました。」という一文がなければ。
何と「装い」の変化で記者の写真が消えたのだ。1月のコラムで山中さんは話題のグーグルグラスを一足お先に米国で試してきたことを取り上げ「着けた雰囲気は当欄右上の写真をご覧ください」と書いていた。
そうなんです。このコラムの右上にはいつも記者の写真が載っていたのです。
山中さんは、特にハンサムだとか私の好きなタイプのルックスというわけじゃないけれど、写真があるとないのじゃ大違い。高橋源一郎さんの近影同様、眺めるだけで幸せな気持ちになる。筆者の写真はそういう感情を読者に与えていることを朝日新聞の偉い人はわかっていないんじゃなかろうか。 「日曜に想う」のリニューアルを残念に思いつつ、波立つ南シナ海を機内から見下ろしドラえもんの姿を探し続けた山中さんのお顔を想像してポーッとなった日曜の午前10時。ケーリさんがお湯を注いでくれたミルクココアを飲みながら、「日曜に想う」を5回読みました。
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