礼讃

【ブログ】憂国のラスプーチン

2014/08/16 02:00 投稿

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「憂国のラスプーチン」  2014年3月22日

 春分の日からの3連休は「憂国のラスプーチン」と佐藤優氏の「獄中記」の考察をしようと決めていた。「憂国のラスプーチン」は佐藤さんにとって、私が書いた公式には小説だが自伝である刊行予定の本と同じ位置付けになると思う。かなり面白かった。

 私は留置場で暑さ寒さを2度体験し、拘置所では春夏秋冬を3度、現在4度目の春を迎えようとしています。勾留生活を語るにはふた夏ふた冬過ぎてやっと真実が見えると思っている。
 拘置所には在所数十年という大先輩もいらっしゃるが、警察の留置場で2年近く生活した人は珍しいだろう。しかも私は1都2県を股にかけている。この経験が私が拘置所日記を綴る上での土壌であり、かなり肥沃なものだと自負している。

 佐藤さんは512日間勾留されていたのだが、東京拘置所だけだし、この点においても2ヶ所の経験がある私に分があるだろうと思っていたのだが甘かった。

 彼は物凄いタイミングで逮捕されているのだ。

 2002年5月から03年10月まで東拘で暮らしていたということは、1945年、小菅刑務所に併設されていた東京拘置所の旧獄舎と2003年に完成した新棟の両方での生活体験を持っていることになる。
 これは強い武器だ。東拘の四季を体感し、新旧獄舎を知っている職業作家は他にいるまい。
 私が埼玉でお世話になった担当の麗子さんは若い頃、東京拘置所に勤めていた人で昔の東拘話をよく聞かせてくれた。

 後のブログに記すが、埼玉時代の私は職員と個室で会話する機会に恵まれていた。平日はほぼ毎日数十分個人的な話をする時間があり、それは面接でも取り調べでもなく純粋な雑談だった。こういう時間を持てたのは有名人の特権である。

 埼玉には東拘での勤務経験がある人や、親も刑務官で小菅の官舎育ちという人もいた。だから私は東拘の旧獄舎の話は埼玉の職員から伝え聞いて多少の知識は持っている。
 当時の様子は、現在の埼玉の拘置所とほぼ同じという印象を持っていた。佐藤さんの獄中記を読み確信を得た。
 佐藤さんは新旧獄舎の独房を較べ「保健所の檻と『ペットホテル』の違いくらいがある」と記してあった。「憂国のラスプーチン」のイラストを見ると2002年の居室に新獄舎の描写が混じっているようにも感じる。綺麗過ぎるのだ。

 この漫画の描写がリアルだとすると、東拘旧獄舎より埼玉の方が古く汚い。

 報知器が手動で、コトンと札が落ちるタイプなのは同じ。現在の東拘は電動ボタンで、それを押すと廊下側の扉の上にあるライトが青く点灯し、看守台のパネルにも何室が報知器を押した状態かわかる仕組みになっている。

 埼玉は職員に頼まないとラジオのスイッチを切り替えてもらえず、ONとOFFしか選択できなかったが、東拘は室内にOFF、1、2、3と4段階のヴォリュームコントローラがあり自分で音量を調節できる。

 食事の描写で気になったのは、ご飯がカフェオレボウルのような器に入っていること。
 私は麗子さんや数年前に東拘に勤務していた職員から、昔の東拘は埼玉のように丼ではなく四角いアルマイトの弁当箱だと聞いたことがあり、2002年にご飯茶碗が出されていたとは考えにくい。
 現在は、廊下の床に落とすと割れそうな素材の蓋付き巨大丼に麦ご飯が入り、2つに仕切られた深さ2cm強のプラスチックプレートと大碗と小碗が使われている。色は淡いピンク色。この食器の色は、女子受刑者の作業着と同じ色である。男子の食器は違うのだろうか。埼玉の器は淡いブルーとイエローだった。

 散髪室の描写で、鋏でチョキチョキ切ってもらっている様子も意外だった。私はこのブログを始めてから、東拘で暮らす男子たちに、男子もバリカンだと、○舎○階の理髪係を担当している人はバリカンを鋏のように扱い指定した髪型にしてくれる、○棟の○階には上手な人がいるけど女性は希望できないのか、といった情報を手紙で教えてもらった。少なくとも現在は男子もバリカンしか使えないのではないかと思う。
 私のブログプリントが小菅ヒルズの住民に差し入れられているのは何とも感慨深い。

 外廊下にゴムの木とモミの木の観葉植物が各部屋に1鉢置かれている描写も、女区とは違う。鉢をベランダの地面に置く構造にはなっていないし、各部屋の窓から必ずグリーンが見えることはなく、等間隔に配置されているわけでもない。

 細かいことを言えば、佐藤さんがモデルの憂木衛さんが食パンに塗っているジャムの容器が瓶詰めということも気になった。
 埼玉はプラスティックで現在の東拘は紙パックだ。埼玉では本物のピーナツバターとチョコスプレッドが売っており食パン1斤分よりずっと高価だったが、東拘ではソントンの安物しか入手できません。差入店でさえ種類が多いとは言えソントンの紙パックジャムしか売っていないのだ。
 しっとりふわふわの食パンにピーナツバターをたっぷり塗って食べるのが埼玉時代の楽しみだったのに、東拘ではそれがかなわない。

 漫画は必ずしも細部までリアルに描いているわけではないだろうから「獄中記」で佐藤さんの拘置所生活を考察した。

 一番驚いたのは彼はほとんど運動場に出ていなかったことだ。
 その出不精ぶりが尋常ではないのです。

 房外運動をしたのは3ヶ月ぶりだとか204日ぶりという記述があり度肝を抜かれた。

 勾留生活では居室外の運動場でしか爪切りを使えないので、私も爪を切るためにしか運動場に行かない。正確に言うと私は爪を整えるためにヤスリしか使わない。埼玉にいる時から週に一度と決めている。他の収容者は外での運動が楽しみらしく、週に1度しか出ない私は職員から変わり者だと思われていた。

 それからすると3~4ヶ月に1回、足の爪を切るために渋々運動場に出るという佐藤さんは超変人であろう。

 足より伸びるのが早い手の爪はどうしていたのか気になるでしょ。

 何と「手の爪は歯で噛み切ることができる」

 !

 変態だ。

 彼は誇張するタイプではないと思うので、本当に手の爪は歯で噛み切って過ごしていたのだろう。 りんごを丸齧りできるのだから歯が丈夫なのでしょうね。
 私は埼玉で、りんごを買ったけれど歯が弱くて食べるのを断念した女性を何人も見た。そういう人は歯より頭が弱いので、りんごをむくための果物ナイフを拘置所が貸してくれると思っていた。

 しかし、歯で噛み切った手の爪はガタガタではなかろうか。

 その手を取り調べ官や弁護士、刑務官らに見られることに恥ずかしさはないのだろうか。
 ペンを持ったり、本や書類を捲ったりするのにガタガタな爪は支障がないのだろうか。
 その手でマッサージや指圧をすると肌にダメージを与えるのではなかろうか。
 そんなケアはしないのだろうか。

 「獄中記」を読むに、勾留中の彼の体はかなり衰えていたように感じた。極端な運動不足のため疲れやすくなったとか、ふくらはぎがつった、脚がしびれる、腹部に鈍い痛みがある、足がむくむ、10回くらい縄跳びをしただけで息切れがしたなどおじいさんみたいなことを書いている。
 その一方でカロリーブロックを持ち、摂取カロリーを1日800~1000キロカロリーに抑えたり、缶詰や菓子類を段ボール箱1つ分買いためたりしているのだ。
 ソ連時代からロシアにいた人だから北国の備蓄習慣が身についているのだろうが、彼の健康管理はかなり変わっている。

 私は外の運動場に出る機会は少ないが、居室では意識的に体を動かしている。

 習慣にすると、フィジカルとメンタルな作用が結びついているのがわかり、健康と精神的安定の維持に体を動かすことの重要性を感じているからです。
 私は留置場時代に東洋医学の本を入手し、気・血・水の流れをスムーズにすることを第一に考えて、ツボを結ぶ線である経絡マッサージをしています。
 骨盤が歪まないよう、骨格を支える筋肉がたるまないよう、ストレッチングとスクワットも毎日欠かさない。一審まではヨガと瞑想に力点を置いていたけれど、12年の春から執筆中心の生活になったことで体のケアや鍛え方も変わってきました。
 体の柔軟性を保ち、痛みや疲れを出さないことを心掛けて、小まめに休憩とメンテナンスをしています。
 足とふくらはぎを揉むことにかなりの時間を使っている。勾留された身では歩くことが少ないので、足の爪が丸まらないよう立て膝の姿勢で足裏に体重をかけたり、足指を丹念に揉んだりしているのだが、爪が長かったり、ヤスリで整えていないと危ないと思う。

 私が写真で知っている佐藤さんは熊のようないかついルックスなのだけれど、毎日千キロカロリー以下の食生活を守っていたとしたらかなり痩せてしまうように思うが、獄中記に体重は一切書かれていない。 拘置所の食事を楽しみ、ジャムを塗ったパンや果物やお菓子も食べて、砂糖とクリーム入りコーヒーを常飲し、夏期はアイスクリームを食して千キロカロリー以下は可能だろうか。
 アイスクリームは150キロカロリー、コーヒー1杯40キロカロリーと書かれていた。勾留中の佐藤さんはかなりスリムな方だったのだろうか。

 「憂国のラスプーチン」の主人公もひょろりとした少年のよう。私は作家デビュー後の姿しか知らないのでしっくりこなかった。

 処遇面での驚きは、房内で所持できる書籍・雑誌は3冊以内で、宗教経典、辞書、学習書については特別の許可をとれば追加的に7冊まで所持できる、しかも1ヶ月の期限が設けられているという規則があったこと。
 今は冊数制限も所持期限もない。

「人は易きに流れるので、私は拘置所の中では小説や実用書を遠ざけています。」
 という言葉にグサッときた。

 小説は無論、雑誌や漫画に浸っている私は易きに流れっぱなしである。
 直定規は男性誌の袋とじを開くことにしか使わない私です。アラーキーこと荒木経惟さんの応募人妻モデル撮り下ろしのとじ込みアートグラビアを開くと、凄いものが出てきてびっくりします。

 一応佐藤さんが読んでいたハーバーマスとヘーゲルとフスの本を取り寄せてみました。
 自分の能力の限界がわかりました。

 佐藤さんが拘置所で読んだ獄中読書リストの中で私が読んだことのある本は1冊しかなかった……彼とは頭の構造と出来が丸っきり違うんだな。
 私は勾留生活ではあえて宗教書と哲学書を遠ざけているのもあると思うけれど、いざ読むと、む、難しいよ。

 ユルゲン・ハーバーマスが言うには、理性は私たちの日常的なコミュニケーションの中核に位置し、社会はそれ自身の伝統の批判に依拠している。

 ふむふむ。

 ゲオルク・ヘーゲルの弁証法は興味深いが、こういう観念論にはまると危険な方向に思考がいってしまいそう。前史のカントや後史のマルクスとエンゲルス、サルトル辺りまで調べることになってしまうでしょ。
 ヤン・フスは神学への興味と知識がないと無理。佐藤さんはフスの著書を訳し出版することが夢だというのだから、まったく凄い人である。拘置所で学術書を精読し内容を再構成した読書ノートを作ったり、ドイツ語やラテン語の勉強をしたり、「岩波国語辞典」では対応できず「広辞苑」を差し入れてもらったりしてたんだよ。知的好奇心の鬼ですね。

 留置場と拘置所では国語辞典を借りれるのだけど、版が古くていつも貸し出し中。留置場時代に弁護人経由で家族が差し入れてくれた私の辞書は書き込みがあり不許可になった。
 後にその書き込みは名前だったと知った。

 拘置所で辞書を借りたことは一度もない。
 私は漢字に強いので本の執筆をするまでは不自由しなかった。

 これは春分の日から書いているのだが、佐藤さんは2003年の3月21日に新獄舎へ引っ越し、22日に書いた弁護団への手紙に「現時点で暖房は稼働しておらず、かなり寒いです。昨日は夕方4時には吐息が白くなりました」とある。

 私の体感では、今、暖かいです。

 「夜は寒さで目が覚めました。」ともある。

 寒さで目が覚めたことは埼玉時代もなかった。
 埼玉では冬になると霜焼けの症状を訴え凍傷薬を処方される人が多かったけれど、靴下選びが悪いのとケアの方法を知らないのが原因でしょう。化学繊維の靴下を重ね履きして水虫と霜焼けを併発していた人もたくさんいた。
 エアコンのある東拘でも医務の回診で霜焼けと診断されている声を聞くので、寒さ暑さの感じ方や対処は人それぞれの模様。3月に入ってからも東証や乾燥肌の塗り薬を処方されている人が存在する。

 私は冬でも布団に入ると暑くて足だけ外に出している。胸から上に布団は掛けない。首や胸元に布が当たるのが嫌なのだ。

 佐藤さんは「まだ毛布が貸与されていない」と書いていたので私物の寝具を使っていなかったのだろう。衣類の差し入れの要望も「1日あたり、パンツ、シャツ、各1、1週間あたり、長そで上着、ジャージ・ズボン各1を差し入れて頂ければ十分です」と伝えている。
 服にも頓着しないらしい。昼と夜で同じ服を着ている、しかも1週間同じ服って衛生的にどうかと思うし、私なら連日同じ服で面会するのは恥ずかしいと感じるのだが、まぁ彼は気にしないんだろうな。3ヶ月爪切らなくて平気な人だもの。

 彼は土曜の昼食に焼きたてのコッペパンと熱いシチューと汁粉がでるので、食事に関しては最も楽しい日だと書いている。
 コッペパン、ピーナツバター、クリームシチュー、煮豆のメニューが「たいへんにおいしかった」とも言っている。

 本当だろうか!

 パンを溺愛し、趣味で料理学校に通いフランス人シェフにパン作りを習っていた私としても、パンが出る食事は何より嬉しいのだが、私は東京拘置所のコッペパンよりマズいパンを食べたことがない。
 土曜の昼は憂鬱で複雑な心境になる程だ。
 決して焼き立てではない。前日、もしくは前々日に焼いて乾燥室で保管してたんじゃないの?って思うようなコッペパンが出る。

 私は煮豆もお汁粉も大好きだけど、パンと一緒に出すっておかしいでしょ。

 東拘のパン食献立は絶対おかしい。

 22日、土曜の昼食は長さ27cmのコッペパンにモロズミのいちごジャム25g、フレッシュマーガリン8g、クリームシチューはベーコン、玉葱、人参、じゃが芋、コーン入り、そして金時豆の甘煮だった。
 埼玉のコッペパンはプレーンの他、角切りプロセスチーズ入り、胚芽入りとバリエーションがあり、クリームシチューかビーフシチューかコーンスープ、コーヒーか紅茶かココア、フルーツの缶詰とジャムかマーガリンは必ず添えられ、フランクフルトにミックスベジタブル、スパゲティーサラダ、ソース焼そば、マカロニのカレーソテー、ポテトサラダ、フィッシュフライ、ハッシュドポテトなどのおかずが盛られた1皿が出た。

 毎月1回ずつイモ金時と呼ばれる粒餡も出て、その日が待ち遠しかったものである。
 東拘のメインディッシュは煮豆だよ。

 あり得ない。

 パンがパッサパサだから、ちぎってシチューに埋めて食べてます。
 ジャムやマーガリンは使わない。

 埼玉の幹部に、府中刑務所のコッペパンは美味しくて有名だと教えてもらったことがある。
 府中刑務所の文化祭で受刑者謹製コッペパンが2個100円で売られ、行列ができる人気だと言うのだ。
 その話を聞いていたから同じ東京にある小菅の東京拘置所で作られているコッペパンもさぞ美味なのだろうと期待したのだが大間違い。
 埼玉は月に6回パン食があったのに、東拘は月4回というのも大きな不満。毎朝パンが出る刑事施設もあると聞くから法務省が回数を決めているわけじゃなさそう。

 東拘はなぜパン食が週1なの?
 そして、なぜこんなにパンがマズイの?

 もうひとつ謎として残るのは、2002~3年の東拘で出されていたコッペパンが焼きたてでおいしいという佐藤さんの味覚は正しいのかということ。
 彼は外交官として海外の一流ホテルや日本の一流料亭や高級レストランで食事をする機会も多かっただろうから、美食を知っている人だと理解している。
 彼は未決者だったから勾留中に一般業者が作った物を自由に口にしていた点で、堀江さんの服役中の味覚とは違う。より正しい判断が出来ていたはずなのだ。
 その佐藤さんが東拘のコッペパンがおいしいという事をどう解釈すべきか迷う。
 当時の佐藤さんの味覚がおかしかったか、当時東拘で供されていたコッペパンは現在と違う材料と製法でつくっていたかどちらかだろうが、多分後者だと思う。
 今のコッペパン、本当に信じられないマズさだから。
 クリスチャン精神を持ち出されるとややこしくなるが、彼は自己を突き放し冷静に客観的な判断をしていたと思うので、10年前と現在のコッペパンは別物だという結論にする。

 春分の日の夕食には善哉が出た。
 丼いっぱい。
 ご飯とおかずは一口も食べられないヴォリューム感。
 善哉が出る日はスープしか飲めません。

 お汁粉じゃなくて、もったりした粒餡に近い善哉を丼ご飯と同量出すっておかしいよ。白玉も餅も入っていない甘い餡こを丼いっぱい食べるって大変ですよ。食べたけど。

 「獄中記」の中で気になったのは「2-3ヵ月の交流生活を経ると聴覚と触覚が研ぎ澄まされる。足音、鍵束の音で、どの看守がどの独房を開けようとするかを正確に予測できるようになる」という記述。

 私に関して言うと、これは全くわからない。埼玉では2年半滞在したのに、職員から用があって声をかけられるたび「わっ」「キャッ」と飛び上がって驚いていた。
 最終日も部屋の前に職員が迎えに来たのを気付かず「キャッ あぁ~びっくりした。また心臓がぎゅんってなったわぁ~」と言って担当の麗子さんに「ごめんねぇ」と謝らせてしまった。
 彼女は若い頃、足音を立てず歩くよう指導されたと言っていた。

 麗子さんによると、私は集中力が高くて周りのことが見えない聞こえない自分の世界に入っているらしい。だからか、ラジオはほとんど耳に入ってこない。鍵束や足音がきになる人は読書や書き物の効率が悪いのではないだろうか。

 東拘に移ってからも私の習性は変わらず、声を掛けられるとびっくりする。

 私が埼玉より東拘の居室が気に入っている理由のひとつに畳がビニール製で衛生的なことがある。
 佐藤さんも掃除が楽になり、ダニやハウスダストに悩まされることはないと思うと書かれていた。
 しかし堀江貴文さんは「刑務所なう。」で、東拘より長野刑務所の部屋の方が居心地がよい理由に、本物のい草の畳が使われていることを挙げているのだ。
 刑務所で1畳5万円以上する備後地方の手織り高級畳が使われているはずはないし、他人が素足で歩いた畳の上で生活するなんて私には抵抗がある。
 だが堀江さんはこともあろうに実録マンガで刑務所の畳に頬擦りしてる……。

 私は埼玉時代10帖の畳を1人で掃除するのが大変で大変で、狭い単独室に移してほしいとお願いしたことがあったほど掃除が大変だった。
 東拘ではビニール畳3帖にフローリングが1帖弱の適度な広さで外からの汚れも入らず掃除が簡単。

 「獄中記」でたびたび出てくる岩波書店の「世界」は、父が愛読していたのをよく覚えている。
 白地の表紙に黒文字で「世界」と書かれた分厚い雑誌と新聞の切り抜きスクラップブックを資料に私は子供時代、父の書斎で政治経済の解説を受けていた。小学生の頃からの習慣だった。

 佐藤さんは「ある意味で拘置所内の生活は、夏目漱石の『それから』における先生のような『高等遊民』の世界に似ていると思います」と書いている。
 私は自伝の私小説に、小学生の頃に漱石の小説を読み、父に「大人になったら高等遊民 になりたい」と言ったエピソードを書いた。

 私は自分の人生で、専門的な高等教育を受けなかった事と、志を共にする知的集団の中で過ごす期間を持たなかった事だけは後悔しているが、今の生活に案外満足しているのは、高等遊民の世界に近い環境にあるからかもしれないと佐藤さんの分析で気付かされた。

 折しも今日の朝日新聞の1面に、1914年4月から掲載していた漱石の「こころ」についての記事があった。
 連載開始のちょうど100年後にあたる4月20日から、当時と同じ全110回に分けて再掲するという。 朝日新聞のちびまる子ちゃん記者から手紙が届いたばかり。ちゃんと350円分の切手を貼って赤字で速達と書かれていた。

 私は毎日こうした物事の繋がりを感じながら過ごしている。

 「憂国のラスプーチン」5巻の裏表紙のイラストにアントニオ猪木が赤いマフラーを首から下げているのには笑ってしまった……何このタイミング。

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