ヤマザト会は、ここ十年で十カ所以上の施設を発足し、地上の楽園ヤマザトの運動は、規模を拡大し続けていた。教育の荒廃が叫ばれ、無気力、無関心、無感動な子供達が増え、いじめや校内暴力といった物騒な言葉が氾濫する世の中で、子育てにおろおろする親達の心を鷲掴みにしていたのである。

もし、雅也君がヤマザトの中等部生になれば、年間千三百時間の農作業が課せられ、学校の友達と遊ぶことも部活動もできず、六~十人が一つの部屋で過ごし、一つの布団で二人が寝るという集団生活を送ることになると聞き、このシステムには賛同できないと思った。

ヤマザトは果たして楽園なのか。私と雅也君は膝を突き合わせて語り合った。

雅也君の口から、カール・ユングやジークムント・フロイトの名が出てきた。深層心理や精神分析、無意識にある観念と感情の複合体としてのコンプレックス、人間の欲望、夢や神話について、私達は自分が読んできた本や体験を元に、自分の考えを伝え合った。

私は好きな絵画の話をした。ポストカードを雅也君に見せた。

私が、絵画に興味がある? と尋ねたら、花菜ちゃんの話すことには興味があるよと言って、読みかけの本に栞代わりに挟んであったポストカードをじっと見つめていた。

鮮やかな色彩と圧倒的な描写力。情感豊かな独特の表現で知られるエル・グレコの祭壇画『無原罪のお宿り』がプリントされている。極端に縦長な構図の中に、聖母マリアと彼女を取り囲む楽器を持った天使たちの姿が描かれている絵を、私はとても気に入っていた。

「素敵な絵だね」

と、雅也君が言ってくれたことが嬉しかった。

雅也君も自分が持参したポストカードを見せてくれた。北海道の消印で両親に送るために空港で買ったという絵ハガキだった。

「文通しよう」

 突然の雅也君の申し出に、私は、もちろん「うん」と返事をした。

 雅也君がラベンダー畑のポストカードに、自宅の住所をこりこりと一文字ずつ丁寧に書いてくれた。私は、エル・グレコのポストカードに住所を書いた。

雅也君が電話番号も書いてくれたので、私も住所の下に書き添えた。

「花菜ちゃんの家には、ファクシミリ機はある?」

「うん。ファクス通信はできるわよ」

「じゃあ、ファクスナンバーも書いておくよ」

ファクス機MF‐2が自宅に置かれたのは昨年のことだった。雅也君と文通やファクスができるなんて、と心が弾んだ。