今年の夏休みは、真由ちゃんと再会し、子供楽園村に参加するのと同じくらい楽しみにしているイベントがあった。それは西の祖父母との三人旅である。

今年、六十三歳になる祖父は、三年前から非常勤の役員になり時間の余裕もでき、平日はゴルフに出掛けていることが多かった。最近は、やけに「余命いくばくも無い」と言っては、私の心を冷やすので、せめて「余生」という言葉を使って欲しいと懇願する私を見て、西の祖父は涙腺を緩ませた。

西の祖父に言わせると、定年過ぎてからの人生は、おまけなんだから余命いくばくも無い俺の人生は、好きなことをやって暮らすのだということだったが、六十歳になるまでの祖父が、何かを我慢して暮らしていたようには思えなかった。

強いて言えば、平日の昼間からお酒を飲むことがなかったくらいである。西の祖父の豪快な性格からして、いつもお酒を飲んでいても不思議ではないと思ったが、会社に出勤する日の昼間は、決してアルコールを口にしなかった。

焼酎やウイスキーをぐびぐび飲みながら診察している河合先生を幼い頃から見てきたので、お酒を飲まないで仕事をする西の祖父はなんて偉いんだろう、紳士なおじいちゃんだと尊敬の眼差しで見ていた。

西の祖父は子供の足で家から三分くらいの所にあるパチンコ店の常連だった。町でいちばん大きな店だと思われるそのパチンコ店は、娯楽の少ない田舎だからこそ、いつもお客さんが席を埋めて繁盛していた。

仕事が休みの日の西の祖父は、まだ日が高いうちからパチンコ店に行き、しばらくすると、店内の公衆電話から祖母にかけて寄こす。

「おーい、もう一本」

 とだけ言って、西の祖母は、「わかりました」と答え、電話機を置く。西の祖母は冷蔵庫から冷えた缶ビールを出し、保冷剤で包み、ビニールバッグに入れて私に渡す。私は急ぎ足でパチンコ店に向い、店内をぐるりと回って西の祖父の姿を見付け、冷えたビールを届ける。すると、祖父はいちごポッキーやアポロチョコレートを御駄賃代わりにくれる。パチンコ玉何個で、私の好きなお菓子と交換できるか覚えており、公衆電話をかけた足で景品交換のカウンターに向かうのだ。