プロパガンダ戦の敗北
  ――戦前の日本人が見抜いた共産主義アメリカの正体


▼わざと不景気にする理由

 いまでも就職氷河期ということが言われるが、1929年の世界大恐慌による戦前の就職難は、どうやって解決に向かっていったか。ひとつには、満州事変による軍需景気で回復していった。やがては国家総動員体制による戦争動員でフリーター問題は解決に向かう。

 これはアメリカでも同じことで、大恐慌後にルーズヴェルトのニューディール政策でアメリカ経済は回復に向かうが、1937年に緊縮財政策を取って景気は下落し、いわゆる〝ルーズベルト不況〟が起こる。その回復のために戦争準備体制が取られ、日米の利害が一致したところで戦争を始めた。これで共に戦時景気に沸くのである。

 歴史というのはあとから見ると、なんだか予定調和的に見えるものだが、実際にその筋書きを知っていたのは、ほんの一握りの人たちにすぎない。したがって当時の人の多くは当然ながら、事の結末を知らずに世の動向を見ていたわけだが、単に支那事変や対米関係が心配だなぁというだけではなく、なんだか妙なことが起きているぞ……と気づいていた人もいる。

 たとえば、大蔵組の副頭取・門野重九郎(かどの ちょうきゅうろう/1867-1958)は、1937年(昭和12年)に東京商工会議所会頭を務めていたが、この年の12月1日に「事変をめぐる列国の対日感情」という題の講演をおこなっている。そのなかで門野は、日本と欧米をめぐる〝妙な空気〟について、非常に言葉を選びながら述べていた。

 この年に大陸で起きていた支那事変は、事実上の日中全面戦争に突入していたが、同時に和平工作も進められていた。当時の空気としては、どうせ日本が勝つのだからさっさと終わらせればいいし、また早晩終わるだろうという観測である。ただ、日本をめぐる国際世論が良いわけではないので、その辺の風向きを門野重九郎は、アメリカやイギリスに滞在するなかで経済人として見定めていた。その報告として、門野はふたつのポイントについて話している。

 ひとつには、門野はすでにルーズヴェルトの正体を見抜いていた。