越後屋とFRBと朝鮮銀行
――紙切れと戦争のグローバリズム
▼越後屋とFRB
江戸時代に越後屋という御用商人がいて、幕府に金を貸し付けていた。時代劇で「おぬしも悪よのお」と言われる越後屋を経営していた三井家が、後の三井財閥である。越後屋は、明治維新後に政府の肝入りで金貸業を発展させ、第一国立銀行になった。国立と言っても民間銀行であり、株式会社である。しかし、金と交換できる兌換紙幣の発行を認められていた。民間銀行であるアメリカの中央銀行・FRBの設立よりも37年も前のことである。
第一国立銀行が第一銀行と名前を替えた翌年の1897年(明治30年)に、日本は明治初期に不成功に終わった金本位制に復帰する。アジアでは銀本位制が主流だったので紆余曲折があったのだが、あくまでヨーロッパ列強が定める金本位制の仲間入りをして外資導入を容易にする必要があった。金融グローバリズムなどはいまさらの話であって、帝国日本は当初から外国資本に組み込まれることを欲していた。それが〝富国〟の意味であり〝強兵〟の意味だった。
日本に比べればアメリカなんぞは遅れてきたグローバリズムにすぎない。土倉(どそう)と呼ばれた日本の質屋が海外商人と結託して貴族に金を貸し付けた歴史は古代にさかのぼる。元締めは寺社勢力で、その縄張りは朝廷も介入できない治外法権だった。この勢力が今日に至る闇社会のベースにある。明治政府はこの地下金融勢力を利用して、当初はアメリカ式の民間銀行を設立した。そして後にイギリス式の中央銀行制度をまねて日本銀行の設立となる。
近代日本は本家のイギリスを〝兄〟と慕って発展し、向こうも表向きは〝東洋の黄色い小さな弟〟と思ってくれていた時期もある。よく働いてくれる弟だったが、明治天皇が崩御してから、柱が抜けたように権力動向が分裂した。ロシアと接近する一派も力をつけた。大陸での英国利権とぶつかるようにもなってきた。その後にどうなったかは周知の通りである。
近代日本は本家のイギリスを〝兄〟と慕って発展し、向こうも表向きは〝東洋の黄色い小さな弟〟と思ってくれていた時期もある。よく働いてくれる弟だったが、明治天皇が崩御してから、柱が抜けたように権力動向が分裂した。ロシアと接近する一派も力をつけた。大陸での英国利権とぶつかるようにもなってきた。その後にどうなったかは周知の通りである。
アメリカの外交史家ロジャー・ディングマンによると、戦後の日本統治にあたってアメリカとイギリスでは日本人の性格についての見方が異なっていたという。アメリカは日本人を権威に弱い者ととらえ、為政者が軍国主義者であろうと占領軍であろうと共産主義者であろうと、その支配の操縦に容易に従うような国民であると見ていた。しかしイギリスはそう見ておらず、日本人は潜在的には攻撃的であり、独立させれば危険な相手と見ていたという。
どちらの見方にも一理あるが、要は日本人の節操のなさが、しぶとさにも通じている。そう私たちは自己分析できるだろう。これは良い方にも悪い方にも転ぶのだが、幕末に黒船が来たときに吉田松蔭が嘆いたのは、江戸の庶民のなかに早くもペリーを畏敬する人たちがあらわれていたことだった。
当時の様子を吉田松蔭が、こう見ていたことをご存知だろうか。
当時の様子を吉田松蔭が、こう見ていたことをご存知だろうか。
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