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私の受験勉強体験:挫折と逃げた自分への後悔

2013/07/03 06:40 投稿

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みなさんはじめまして。
受験の星を運営している代表です。
はじめてみなさんの前に出て記事を書きました。
不定期かと思いますがどうぞよろしくお願いします。

みなさんは希望の大学を目指し、将来の自分の理想像を目指して日々受験勉強に取り組んでいると思います。私の受験勉強体験はあまりみなさんに参考になる話がありませんが、自分の過去を思い出してつらつらと今日は書きますね。

小学校は横浜市内の公立小学校に通ってました。ごく普通の学力も中の中くらいの生徒でした。
当時は中学受験が大変流行っており日能研に通う日々でもありました。
授業後のケンタッキーフライドチキンを食べるのが何よりの楽しみでした。
小学校4年生のとき父親の仕事の都合で新潟県に引っ越しました。
今は知りませんが、当時住んでいた住宅街は夜になると街灯も少なく横浜の町並みと比べると「真っ暗だ!」という印象が今でも残ってます。

小学校は自宅から電車に乗って県2番目の都市にある大学に附属されている小学校に通いました。その学校では横浜で塾に通って学ぶようなことを学校で教えてくれたような記憶があります。うろ覚えですが「自由自在」という参考書が教室に置いてあったと思います。
勉強という点ではとてもよい環境だった事を覚えています。

小学6年生のとき附属なので中学試験がありました。
幸い合格することができたのですが、また父親の仕事の関係で横浜に戻ることになりました。
中学校からはまた横浜の公立中学に通う訳です。
横浜に戻り公立の中学に通い始めましたが、新潟の小学校で中1で学ぶことをある程度教えてもらっていたので授業の進みに不満があり、勉強をすることを辞めてしまいました。

そんな怠けた日々がしばらく続いたあと、気がついたら勉強についていけなくなった自分にはたと気付かされました。中学2年生のときでした。
特に数学はお手上げになってしまい更に授業に出る事が苦痛になってきました。

心配した両親が市内の日能研系の塾に通わせてくれましたが、これがまた逆効果でした。
学校の授業もついて行けないのに塾の勉強なんて、、、みなさんなら想像できますよね。
さらに私にとってマイナスだったのは授業が全後半2回に別れていました。
前半の勉強の最後にテストを行います。
15分の休憩があったような記憶がありますがその後成績を発表され後半になだれ込む仕組みだったと思うのですが、当然悲惨極まりないテスト結果は分かっているので、夜7:30過ぎの休憩時間に塾からふらりと出てそのまま書店をうろついたり駅前でフラフラして時間をつぶして家に帰る。
そんな日々を送ってました。
また夏期講習のときは朝家をでたら同じ塾に通っていた友人を誘って当時ゲームセンターで流行っていた「ニンジャウォーリアーズ」というゲームで遊んでしまいました。
両親には大変申し訳ないことをしたと思います。
社会人になりお金を稼ぐ事の大変さ、子供が一人前になるために教育だけはしっかり受けさせたいと思う親の気持ちが今ならわかります。

しかし当時のその流れを自分では変えることができず、中学3年生のとき、クラス中が受験の話で持ち切りになり勉強ができる人はヒーローとなり、それなりの人も学校での話題に入れますが私は、、、

そんな経験でもいろいろな感情を感じ取れたり勉強以外で学んだことも多かったとは思いますが、こと受験勉強という点、希望の学校に入る事の喜びなどを感じる事のできない10代でした。
「あのときこうしておけば…」という思いは今でもあります。

一度学力という面で底辺に落ちてもそこから自分を認めつつ上を目指す気持ちがあればよかったのですが、安いプライドが邪魔して後悔するはめとなってしまったというお話しでした。

みなさんにとって為になる話や、参考になる話というわけではないかもしれませんが、今後ともよろしくおねがいします。



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