よく議論ゲームと言われること本当にそうだろうか?
結論から言うと議論ゲームという括り自体に間違いはありません。
人狼ゲームを知らない人に説明する時は議論ゲームと言い切ってしまったほうが内容が伝わりやすいのも事実です。
このゲームはあらゆるゲームの中でも特異で、役職配布用のカードさえあれば可能です。
だからこそ人と人の対話…つまり議論にスポットが当たります。
ただし、ある程度経験を積んだプレイヤーがステップアップをするためには議論ゲームという認識を改めたほうが良いというのも事実です。
今回の記事ではそれについて解説しようと思います。
何故議論をするのか?
答)村:人狼を処刑するため
狼:村人を処刑するため
※今回は内容を簡潔にするため、村陣営視点に限定して解説します。
人狼を処刑するには、当然ですがまず人狼を見つけなければいけません。
そのために互いの意見を交換したり、役職者の結果を確認したりする必要があります。
そのための議論時間なのです。
議論の最終目的
これを失念するプレイヤーが実はかなり多いです。
最終目的は処刑先を決めることです。
何を当たり前のことを、と思うかもしれません。
でもよく見かけませんか?
村が終わった後に
「村は負けたけど俺の推理は合ってたからいいや」
「俺の言う通りにしていれば村は勝てたのに」
というプレイヤーを。
人狼を処刑できなければ村は負けるんです。
推理を披露する、自分の推理が当たっていることに満足感を得る、これらは目的ではありません。
前者はあくまで人狼を追い詰める手段、後者は日頃のストレスを発散する手段でしかありません。
人狼は処刑でしか死なず、村陣営の勝利条件は人狼の殲滅。
処刑は唯一人狼に対抗する手段です。
その処刑の精度を高めるために村役職がいて、議論時間が存在します。
処刑先の決まり方 その①
「グレラン」「指定進行」などの手段はありますが、結論だけ簡潔に言うと最多得票の獲得です。
最も多くの票を集めた人がその日の処刑者としてゲームから除外されます。
グレランにせよ指定進行にせよ、村陣営はある程度意見を統一させる必要があります。
これが議論時間の意義になります。
処刑先の決まり方 その②
人狼ゲームにおいてロジックには限界があります。
ロジックで村が勝てるのはあくまで詰み盤面のみ。
大半のゲームでは大なり小なり”決め打ち”という印象が関与します。
※なるべく「小なり」で済むようにする努力はもちろん必要です
そして、それを制したものが処刑を逃れ、処刑先を決める権利を得るのです。
よく「感情でプレイするな!ロジックで戦え!」という言葉を聞くと思います。
たしかに激情に駆られて人狼をするのは褒められたことではないです。
ですが、人間に感情が存在する限り、感情を蔑ろにするプレイヤーは大成しないでしょう。
僕が人狼を始めるきっかけになった方はこう言っていました。
「人狼は好かれた人が勝つ」
余談ですが、僕の師匠はこう言っていました。
「女子大生と汚いおっさんが同じ発言をしていたら汚いおっさんが処刑される」
人間なんてそんなものなんです。
汚いおっさんはそれだけで不利なんです。
重ね重ね言います。
人間なんてそんなものなんです。
不当だろうと何だろうと人狼は印象ゲーです。
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