[MM日本国の研究854]「二人の若者を変えた苛烈な終戦体験」
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⌘ 2015年07月09日発行 第0854号
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■■■ 日本国の研究
■■■ 不安との訣別/再生のカルテ
■■■ 編集長 猪瀬直樹
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「昭和37年に日本初の警備会社・日本警備保障を興した二人の若者は昭和20
年の終戦当時、まだ12歳、13歳だった。しかし少年期の終戦体験がのちにこ
の若者に価値観の転換をもたらしたのだった……」
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「二人の若者を変えた苛烈な終戦体験」
飯田亮と戸田寿一、少し軽はずみでありながら屈託のない欧米のニュービジ
ネスに惹かれる未来志向の二人の青年は、昭和20年の終戦の年にはまだ12歳や
13歳にすぎない。B29爆撃機がただ頭上を通りすぎただけではないことと同様
に、終戦は大きな価値観の転換をもたらしたのである。
前年の昭和19年夏に東條英機内閣が倒れ、小磯国昭内閣になり、昭和20年4
月には小磯内閣が崩壊し、鈴木貫太郎内閣へ変わった。
B29が各地の都市へ空襲を繰り返しているにもかかわらず、戦争の終結に向
けた有効な手立てが打たれることがなかった。大磯の吉田茂邸に憲兵隊がやっ
てきたのは4月15日だった。吉田は和平工作を画策していたとして逮捕され、
渋谷の陸軍刑務所に収監された。
「私が憲兵隊に連行されたのは、たしか4月中ごろのことであったと憶えてい
る。大磯の私宅から連れて行かれる自動車の中で、召還される原因は、秋月翁
の潜水艦の一件だろうと想像していた」(吉田茂『回想十年』)
秋月翁とは吉田の遠縁の元外交官秋月左都夫で、海軍が和平交渉をするにふ
さわしい人物を潜水艦に乗せイギリスへ送り込むつもりでいる、それには元駐
英大使の吉田がよいのではないか、とそんな話があった。憲兵隊が吉田の監視
を始めたのはかなり早い時期からで、日米開戦より以前、日本が日独伊三国同
盟へと急速に傾斜していくころ、英米派として眼をつけられていた。
実際の吉田に対する逮捕理由は、この一件とは別の終戦工作にあったが、吉
田は45日間拘留されただけで不起訴処分となり、再び太平洋を臨む大磯へと戻
っている。
いずれにしろほとんどの国民は、終戦工作など知るよしもない。
飯田亮が神奈川県葉山の森戸海水浴場の近くの別荘に移ったのは、この年の
3月、疎開先の埼玉県秩父の名栗村(現、飯能市)から転居したばかりだが、
湘南中学(旧制)の受験に間に合った。受験番号はどんじりの552番だった。
父親の紋治郎は日本橋馬喰町で酒問屋・岡永商店を営んでいたが2月25日の
空襲で焼け出されたため、やむなく生活の場を別荘のある葉山町へ移したので
ある。
藤沢市にあった神奈川県立の湘南中学には伝統があった。そのころではめず
らしい水泳プールがあっただけでなく、海軍士官を数多く輩出させている。湘
南中学からエリート将校として出世コースの海軍兵学校、海軍機関学校へ進学
する生徒が多いことは知られていた。
葉山から逗子駅まで4キロ歩き、横須賀線に乗って大船駅から東海道線に乗
り換えると藤沢駅である。藤沢駅に着いて驚いた。丘の上の湘南中学まで2キ
ロの道のりを足にゲートルを巻き戦闘帽をたぶった受験生たちぞろぞろと向か
っていく。ゲートルを巻いていないのは疎開先から来たばかりの飯田だけで、
帽子も自分だけが学童帽だった。
面接で、受験番号と名前を告げると、あとは決まり文句だ。
「将来の志望は海軍士官であります」
三人にいた先生のうち一人の先生が言った。
「いやになっちゃうね。最初から最後まで海軍士官、陸軍士官。一人ぐらい実
業家とか外交官とか言うやつはいないのかね」
飯田少年にとって「実業家」という言葉は意外であり、新鮮だった。同時に
ステレオタイプの返答をした自分を悔やみ、「しまった、落ちた」とそのとき
には思ったのだが、結果は合格だった。
湘南中学は、鬼畜米英の戦時下であっても、当時では珍しく英語の授業が行
われていた。昭和初期から全国中等学校英語雄弁大会に優勝するなどの実績が
あった。海軍士官学校の予備校と言われていたぐらいだから、当然といえば当
然、それだけでなく自由の空気は、名門たるゆえんである。
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