⌘ 2015年01月15日発行 第0830号 特別
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■■■ 日本国の研究
■■■ 不安との訣別/再生のカルテ
■■■ 編集長 猪瀬直樹
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「都知事辞任から1年――『結局、僕は作家だったんだよ』」
(「週刊SPA!」1月13・20日合併号インタビューから抜粋)
13年9月、ブエノスアイレスのIOC(国際オリンピック委員会)総会。世
界が固唾を呑んで見守るなか、ジャック・ロゲIOC会長が「トーキョー」と
東京の勝利を告げたとき、歓喜の輪の中心にいたのは、東京五輪招致委員会“チ
ーム・ニッポン”を率いた猪瀬直樹・東京都知事だった。だが、わずか3か月
後、都知事選での5000万円の資金借用問題が火を噴き、猪瀬氏は辞任を余儀な
くされた……。
五輪招致レースのさなか、最愛のゆり子夫人を亡くす悲運に見舞われるも、
東京への招致に成功。政治家として絶頂に上り詰めながら、一転、奈落の底へ。
あれから、早1年。猪瀬氏は今、何を思うのか――。
――都庁を去ってからは、どんな暮らしを送っていたのですか。
猪瀬 妻がいた頃の何でもない日常を、改めてつくっていくのは大変ですね…
…。まずは、妻の供養と禊ぎの意味を込めたこの本(『さようならと言ってな
かった わが愛 わが罪』http://goo.gl/Q8rOFJ )の執筆。医師とのやりとり
や、妻の病状を記したメモを読みながら、あの日、妻はどうだったのだろう、
と思い返したり、CDで「花嫁」の歌を聴いたりして過ごしていたよ。この曲
の歌詞のように、何の成算もなく19歳で上京した僕を、妻は追ってきてくれた
んだ。若い人は知らないだろうけど、いい歌なんだよ(スマホを手に、ユーチ
ューブで曲を流す)。俺は自分のことを書かない作家だったから、この本が本
当にいいのか心配だったね。
――マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)、そして東京で熾烈
な争いを演じた20年五輪の招致レースの最中、夫人が逝去しました。
猪瀬 あまりにも急だった……。3月にIOCの評価委員会が訪日したときに
は、一緒にテニスをやっていたくらいだから、その頃は何ともなかった。その
後、思うように言葉が出なかったりしたので、5月になって医師に診てもらっ
たら、悪性の脳腫瘍で余命数か月と言われたんです……。その翌日には、五輪
招致のプレゼンのためにサンクトペテルブルグに飛ばなければならなかった。
――夫人が重篤な症状に陥り、心中を察しますが、プレゼンはにこやかにやる
もの。顔で笑って、心で泣いて……やり遂げたわけですか?
猪瀬 動揺をさせてしまうので、周りには言えないしね。サンクトペテルブル
クのプレゼンでは、日本人のホスピタリティの高さを前面に出すために、敢え
てお金の話をしたんだ。「東京では、財布を落としても、現金が入ったまま戻
ってきます」――。プレゼンでは珍しく、会場は笑いに包まれたんだよね(笑)。
その後の会見で、外国人記者の「(映画監督の)スピルバーグでも雇ったのか?」
とジョーク混じりの質問に、手応えを感じたのを覚えてるよ。日本人の男性政
治家が、スピーチで冗談を飛ばす……ユーモアを解する好人物と受け取ってく
れたんだろうね。あまりに受けがいいから、このネタは、東京五輪を決めたブ
エノスアイレスで、「お・も・て・な・し」のプレゼンをしたクリステルさん
に譲ったんだ。
――その頃、夫人の病状はどうだったんですか?
猪瀬 帰国すると、病室のテレビで俺のプレゼンを見ていた妻は、「よかった
わよ」と喜んでくれました。医師によれば、手術すれば半年か1年はもつとの
ことだったのが、手術の3日後、妻は昏睡状態に陥ってしまって……。だから、
さようならって言えなかった。それでも、招致レースはまだ続く。俺は妻の死
を覚悟して、ローザンヌに飛んだんです。
◆作家の発想を活かした政策プランニング
――見事、五輪招致に成功しましたが、新国立競技場には、景観や膨張する予
算から批判が集まるなど、問題が噴出しています。
猪瀬 僕は“素人政治家”だったので、多くの人に迷惑をかけてしまったけど、
僕でなくても政治家は時とともに代わっていく。そこに頼るのではなく、ひと
りひとりが何をできるのか考えることが大事。五輪にしても、選手として参加
する日本人はごく一部。それでも、ひとりひとりが持ち場を守り切る……日本
人の特質だし、今の日本に必要なのはこうしたことだと思う。
――皮肉なことに、五輪招致を勝ち取ったわずか3か月後、徳洲会グループか
らの※資金借用問題が発覚し、都知事を辞任することになります。
(※)資金借用問題 選挙運動資金収支報告書に5000万円が記載されていない、
という事実から、14年3月、公職選挙法違反で罰金50万円の略式命令を受けた。
猪瀬 まぁ、実際、借りた5000万円は使わなかったからね。当時は、選挙資金
が不足したときに使うかもしれないとか、落選したときの生活資金に充てるか
もしれない、って考えていた。徳洲会に便宜を図ったのではとの疑惑もあり、
特捜部も僕の行動記録を洗いざらいチェックしたけど、お金を借りた後、僕と
徳洲会がまったく連絡を取っていないことはわかっていたはず。“アマチュア
政治家”の僕には、そもそもお金を貸してくれた人に便宜を図る、という発想
がなかったんだよ(苦笑)。それは、検察が調べた上で、選挙運動資金収支報
告書の記載ミスと明確に言っているし、収賄という報道もワッと出たけど、そ
うではないことは略式命令の処分を見れば明らか。ただ当時は、疑惑を煽る報
道で炎上しちゃったから、声を上げることもできない……。収入印紙を貼って
ないから、あの借用書は偽物って言われたけど、向こうが貼ってないんだから、
しょうがない。借用書の真偽については、徳田さんに取材してくれれば本物だ
とわかったはずだけど、彼もいろいろ大変でつかまらなかったんでしょう。2
月下旬になって、「本物」と言ってくれたけど遅いよ。その頃には都知事を辞
めてたからね。
――日本には珍しく、ユーモアを解し、政策立案能力に長けた政治家だったと
いう評価も少なくありません。
猪瀬 やっぱり、僕は作家だったんだよ。作家・猪瀬直樹が都知事をやってい
た。振り返れば行政に関わっていても、僕には常に締め切りの感覚があった(笑)。
五輪の招致レースは、連載の締め切りのような感覚。道路公団民営化もプロの
政治家は誰も手をつけなかったけど、ここまでやれば、こうなる。もう、少し
……とやっていたら、5年半も携わることになっちゃった(苦笑)。真面目に
取り組んだつもりです。小泉(純一郎)さんには「本当によく投げ出さないで
やってくれた。ありがとう」って言われたけど、見透かされてたのかな(笑)。
原稿を落としちゃマズいっていう感覚で、結局、道路公団改革も締め切りに間
に合わせちゃったんだよね(苦笑)。副知事のときの改革もそうだけど、締め
切りを守って、原稿の最後に「了」って書かないと気が済まない。物語が途中
で終わっちゃったら、作家としてはイヤじゃない?
――作家の発想を持つ政治家の政界復帰を望む声も少なくありません。
猪瀬 途中で辞めざるを得なかったから残念だし、申し訳なかった。連載を中
断したようなものだから、もう少し区切りをつけたかったけど……まぁ、もう
政治はいいよ(苦笑)。
※本稿は「週刊SPA!」1月13・20日合併号のインタビューから抜粋したも
のです。
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