結城浩の「コミュニケーションの心がけ」

Vol.248 結城浩/クリエイタの矜持/結城浩の《挑戦状》/実際にやってみる意味/

2016/12/27 07:00 投稿

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Vol.248 結城浩/クリエイタの矜持/結城浩の《挑戦状》/実際にやってみる意味/

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月27日 Vol.248

はじめに

おはようございます。

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

今回が2016年最後の配信となります。

今年も一年、たくさんの応援をありがとうございました!

 * * *

数学ガール6の話。

『数学ガール6』を書いています。 第2章をレビューアさんに送るべく、一生懸命まとめているのですが、 さまざまな事情によりまだ送れていません。

(こういうときによく「遅れているので送れていません」 という冗談みたいなフレーズが浮かびます。 冗談を言っている場合ではないのですが)

自分一人で書いているときには、

 「よし、これであらかたできたな」

という状態になります。 でもいざレビューアさんに見せる様子を想像して読み返すと、

 「いやいや、これではひとさまに見せられない」

と変わります。品質向上のためには、人の目がほんとうに大事ですね。

経験上、文章を書くときには「朝」が向いています。 そして、図版を描くときには「夜」が向いています。

文章は朝、図版は夜。

文章を書くときには、頭の中をすっきりさせ、 邪魔なものが何もない状態で書きたいと思います。 見通しを良くして、ひとつひとつの言葉をていねいに並べていく感じです。

図版を描くときには、文章を書くときとは違う感覚が必要です。 「ゆるさ」や「あそび」のようなものです。 ちょいと試しにやってみて、まずかったら直しましょう……という感じです。

「文章は朝、図版は夜」というパターンで作業を進めると、 時間を効率的に使った作業になるようです。

あなたはいかがですか。

 * * *

リアルなスパムメールの話。

電子メールでのスパムは迷惑ですけれど、 自宅のポストに投げ込まれる広告チラシも迷惑ですね。

投げ込まれる広告チラシが役に立ったことは、これまで一度もありません。 自宅のポストから取り出した広告チラシはゴミ箱に直行になります。

我が家では、家内のアイディアで、玄関に紙ゴミ用の袋を置いています。 つまり、家の中に持ち込むことなく捨てられるようにしているのです。

ところが困ったことに、 広告チラシの中には外側が透明のプラ袋になっているものもあります。 こうなると、分別回収のために一手間かかることになりますね。

情報によりますと、家のポストに「広告チラシお断り」のような張り紙をすれば、 投げ込まれる広告チラシは激減するそうです。 でも美観の点で問題があり、我が家では採用していません。

広告チラシの中には「アマゾンの箱」に入ってくるタイプのものもありますね。 箱を開けると、自分の購入した本の他に、 広告チラシが入っているという仕組みです。 この広告チラシも役に立ったことがありません。ゴミ箱に直行します。

しかしながら、通常の広告チラシは玄関先で捨てられますが、 アマゾンの箱に入った広告チラシは、 いちおう部屋の中まで入り込むことに成功しています。 これは、まるで

 「トロイの木馬」

のような作戦といえましょう。 もっとも、ゴミ箱に直行することには変わりはありませんけれどね。

以前、アマゾンの箱に「古本買い取ります」という広告チラシが入っていました。 これはなかなかうまい!と思いました。 アマゾンの箱を開けてこの広告チラシを見る人は、本を買ったわけですから、 その人向けへの広告チラシとしてはナイスだと思いますね (私は利用したことはないですが)。

アマゾン側はどんな買い物をしたかを把握しているわけなので、 その商品を買った人に合わせた広告チラシを同梱することは可能のはず。 将来は、うまくマーケティングされた広告チラシが同梱されるようになるのかしら。

 * * *

『数学文章作法』の話。

結城の『数学文章作法 基礎編&推敲編』が、 学校の参考図書や推薦図書に取り上げられる機会が多くなってきました。

『数学文章作法』は説明文を書く人なら誰でも役に立つ本です。 《読者のことを考える》という基本中の基本から話を始めているので、 たとえば大学の先生が学生さんに、

 「まずはこのくらいは当然のこととしてほしい」

という一冊として紹介されるケースが多いようです。

大学の先生は、学生さんにレポートや論文を書いてもらいたいわけですが、 あまりにも基本的なところから話していては、 先生の時間がいくらあっても足りません。 学生さんの基礎知識を揃えるために『数学文章作法』が活用されていますね。

 ◆『数学文章作法』
 http://www.hyuki.com/mw/

木下是雄氏の『理科系の作文技術』が定番本ですけれど、 結城の『数学文章作法』も先生方に認知されてきているようです。 感謝なことですね。

来年(2017年)には、 第三巻目となる『数学文章作法 執筆編』もまとめたいところです。

 * * *

「本を書いています」の話。

あまり結城のことをご存じない方にお会いしたとき、

 「やさしくて読みやすい入門書を書いています。
  こういう本です」

と自分の本を渡すことがあります。

そのとき相手から、

 「うわあ、こんなに難しい本をお書きになるんですね!
  すごいです!私にはさっぱりわかりませんが!
  うわあ、私には読めないなあ〜」

という反応をいただくことがあります。

自分が読めないほど難しい本を書ける(のはすごい)と、 結城がほめられていることはわかるのですが、 入門書を書いている身としては、微妙に凹むのも事実です。 多くの方に「読める」本を書きたいわけなので。

あ、念のために書いておきますが、 不愉快とか不快になるわけではありません。 本には対象読者というものがあるので、 「読めないなあ」と言われることは不可避ですから。

考えてみると結城自身もそうです。礼儀正しく接したい相手から、 興味がない分野の本を、

 「これが、私の著書です」

と渡されたら、あまり何も言えそうにありません。 せいぜい、

 「へえ、そうなんですか。すごいですね」

くらいしか言えないです。

「わたしは読みません!」とは言いにくいし、 「わたしには読めません」と言いたくなる心理は確かにありますね。 いくらつまらなそうに見えても「つまらなそう」なんて、 著者に向かっては言えません。

著書を渡されたとき、無難に会話を進めるには、 本の「内容」ではなく「執筆方法」に話題をシフトするかもしれません。

 「この本の対象読者は?」
 「このくらいの分量だと、執筆期間は?」
 「編集さんとはどんな打ち合わせをしますか?」

のような話題です。そこまで抽象度を上げると、 逆にいくらでも話が盛り上がる可能性がありそうです。

 * * *

「イコール」の話。

先日「イコール(=)はコロン(:)から作られた記号ではないか」 という話題を見かけました。

結城は、 「=」が「等しい」という意味で使われた理由として、 「平行で長さが等しい二線分は、いかにも等しい様子を表しているから」 と記憶していました。

手元にある参考書『数学史』(矢野健太郎)を見てみると、 こんなふうに書いてありました。

 --------
 等号=
 これは,英語で書かれた最初の代数の書物といわれる,
 レコード(Robert Recorde, 1510-1558)の「知恵の砥石」
 (The Whetstone of Witte, 1557)にはじめてみえている.
 レコードは,これを等号として採用する理由を
 つぎのようにのべている.
 「2つの平行線=くらい等しいものはほかにないからである」
 --------

 ◆矢野健太郎『数学史』(科学新興社)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894281872/hyam-22/

うん、だいたい私の記憶は正しかったようです。

結城は個人的に、 イコールをあまり短く書かない方がいいと思っています。

子供が以前、二本の線分の長さをあまりにも不揃いに書いたり、 あまりにもゆがんで書いたりしたときには、

 「これじゃ、イコールなのに等しくないみたい」

とたしなめたこともあります。

「等しい」というのはとても大事な概念ですから、 記号もしっかりと書きたいと思っています。

とはいえ、 手書きでイコールを書くときに定規を使うのはもちろんナンセンス。 もちろん、長さは何ミリでなければならないと考えるのもまちがっています。 物事には程度というものがありますからね。

 * * *

ゲームの話。

先日、120円のキャンペーンをやっていたので、 Mini Metroというゲームを購入しました(iOS版)。

 ◆Mini Metro(スクリーンショット)

2016-12-25_minimetro.jpg

このスクリーンショットを見てもわかるように、 Mini Metroは地下鉄の路線図風ゲームです。

△や○や□の形をした「駅」が少しずつ画面に登場し、 その駅に人が集まってきます。 駅同士を指でなぞって線路を引き、そこに電車を走らせます。 動く電車によって、駅に集まった人の混雑が解消されます。 うまく電車を走らせないと駅が乗客であふれてゲームオーバー。

結城は、リアルな絵柄のゲームよりも、 こういうミニマルなグラフィクスのゲームの方が好きですね (うまいかどうかは別として)。

 ◆Mini Metro
 http://dinopoloclub.com/minimetro/

 ◆Mini Metro(トレイラー動画)
 https://youtu.be/WJHKzzPtDDI

 * * *

世界の表現の話。

結城は毎日『聖書』を少しずつ読んでいます。 そして毎朝、最初のツイートとして聖書の一節をつぶやく習慣があります。

聖書は66巻に分かれています。順番に読んできて、 つい先日「伝道の書」から「雅歌」に変わりました。

毎回、この切り替わりに大きな「落差」を感じます。

「伝道の書」というのはニヒリズムの文学と呼ばれることもあり、 人生のいっさいは無に等しいということが書かれている巻です。

それに対して「雅歌」の方は恋の歌、 しかもたいへん艶っぽい表現もたくさん出てくる巻です。

この二つの巻には大きな落差があるのですが、 それが旧約聖書の中では並んで出てくるのです。

「伝道の書」に吹く風はいわば「からっ風」で、 生き物の気配がなにもありません。でも「雅歌」に吹く風は、 花や果物の香りをいっぱいに含みぬくもりで満たされる風。 そんな違いがあるのです。

(ここだけの話、「雅歌」に出てくる恋人の愛の表現は、 かなりあからさまで、ここに引用するのもちょっとはばかるほど。 ご興味のある方はぜひ『聖書』をお読みください)

すべてのすべてを無と感じる巻と、 艶っぽい恋に満ちた巻が並んで現れるというのは、 矛盾しているようですが、 実はこの世界のあり方を正しく表現しているのかもしれません。

 * * *

「いい子ちゃん」ぶる話。

あなたは、映画『聲の形』をごらんになりましたか。

 ◆映画『聲の形』
 http://koenokatachi-movie.com

(以下、軽いネタバレがあるかも)

あの映画に出てくるキャラで、 「自分にこういうところあるかも」って人はいたでしょうか。 私はいました。川井みきちゃんです。 だから、彼女が出てくるシーンは、なかなかつらかったですね (原作マンガではなく、映画限定の話です)。

 ◆川井みき
 http://koenokatachi-movie.com/character/kawai/

川井みきちゃんというのは、 とても大ざっぱにいえば、委員長っぽい優等生。 八方美人でいい子ちゃんぶるキャラクタです。 しかも、自分の中で自分の体験を美化しがち。 自分に悪いところがあるなんて思っておらず、 痛いところ突かれると泣く。 多くの人からそれなりに好かれるけれど、少数の人からひどく嫌われる。 そういう感じのキャラクタです。

いい子ちゃんの設定で、 いい子ちゃんをつらぬいているといえるのだけれど、 そこに醜さと弱さと愚かさがほの見える。 あのキャラ造形はすごいと思いました。

そもそも『聲の形』という物語は、 既存の物語のお約束をわざと「外して」いるところがありますね。 美形キャラならこういう設定、おっとりキャラならこういう設定、 そのような設定を「外して」「ずらして」います。

ずらしていることで見えてくるのは、 誰しも持っている裏の面です。 人間なら誰でも、外から見える以外のものを抱えています。

 「外部からこんなふうに見えるから、内部もそうだろう」

なんて簡単にはいえません。

『聲の形』では、そこをうまく描いているように思いました。 だからこそおもしろく、 だからこそ見ていて「つらい」部分もあるのですが。

 * * *

「グラフのトリック」の話。

先日(2016年12月16日)フジテレビの『池上彰スペシャル』 に登場したグラフが物議を醸していました。

 ◆池上彰スペシャル
 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/ikegamiakira_sp/

物議を醸したのは、 そこで使われているグラフが視聴者をミスリードするものだったからです。

番組の中で「日本の平均所得の推移」と「米国の平均所得の推移」 を表す二つのグラフを並べて比較していました。

しかし、その二つのグラフの目盛りは縦軸のスケールが異なっており、 横軸もズレがありました。ですから、 二つのグラフの見た目を比較するのは適切ではありません。

個々のグラフは必ずしもまちがっているものではないし、 導かれている結論も必ずしもまちがっているわけではないのですが、 二つのグラフを比較したときに与える「印象」はミスリードとなっています。 当然ながら、番組はネットから非難を浴びることになりました。 グラフの軸を補正したもので検証作業も行われているようです (ご興味のある方は、「池上彰 グラフ」などで検索してください)。

グラフを使って印象操作するというのは、 プレゼンテーションでの「あるある」な話題です。 そのため、今年の秋に上梓した結城の 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』では、 第1章で「グラフのトリック」の話題を取り上げたばかり。

そんな中で今回の池上彰さんの番組が放映されたので、 何名かの読者さんは、

 「池上彰さんが、結城さんの本の販促活動しているみたい」

と結城に伝えてくださいました。私も苦笑です。

自分の本が売れるのはありがたいですが、 池上さんのような有名な方がミスリードするグラフを使うなんて、 たいへん悲しいことだと思います。

特に、主張する内容が大事なものであればあるほど、 ちゃんとしたグラフを使うべきです。 さもないと、主張する人の信用がガタ落ちになるからです。

思うに、プレゼンで「グラフのトリック」が使われるのは、 結論が先にあるからなのでしょう。 グラフをエビデンスとして使うのではなく、 印象操作のために使っているということです。 何とも悲しいですね。

ちなみに、 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の第1章 「グラフのトリック」はKindleの無料サンプル版として、 全文まるまる無料で読めます。 「こんなグラフ、ありえない!」というグラフが登場しますが、 現実世界では、そうでもないのですよ……

ご興味のある方は、のぞいてみてください。

 ◆『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』Kindle版
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01MSJMKMW/hyam-22/

 * * *

それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。

どうぞ、ごゆっくりお読みください!

目次

  • はじめに
  • 数学の問題を出す楽しみ(問題編)
  • 十五円の涙
  • クリエイタの矜持
  • ロマンティック数学ナイトへの出題、結城浩の《挑戦状》
  • 喉がイガイガ
  • 数学の問題を出す楽しみ(解答編)
  • 反比例のグラフ描画をめぐって
  • おわりに
 

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