Vol.231 結城浩/小学生への手紙 - 数式って言葉なんだよ/Web連載の書籍化タイムライン/

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月30日 Vol.231

はじめに

おはようございます。

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

この「はじめに」を書いているのは2016年8月29日(月)です。 大型の台風10号の話題があちこちからやってきます。 先日の日曜日は西日本で局所的な豪雨だったもよう。

今回の結城メルマガが配信される火曜日には、 日本に上陸するかという流れになっていますね。 どうぞ、お気をつけて……

 * * *

降水ナウキャストの話。

現在の雨の状況を知るサービスとして、 東京では「東京アメッシュ」が有名です。

 ◆東京アメッシュ
 http://tokyo-ame.jwa.or.jp

ところで、以下の「高解像度降水ナウキャスト」では、 全国の雨の状況がわかり、しかもこれから一時間《後》の雨までわかるので、 たいへん助かります。

 ◆高解像度降水ナウキャスト
 http://www.jma.go.jp/jp/highresorad/

台風の時期に限らず「これから雨なの?」「この雨はどのくらい続くの?」 という気持ちに答えるいいサイトだと思いました。

この「高解像度降水ナウキャスト」は以下のブログ記事で知りました。

 ◆アメッシュより便利な降雨情報サイトの紹介 〜梅雨・台風への備え〜
 http://k5khrs.hatenablog.jp/entry/2015/05/13/111605

 * * *

最新刊の話。

『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』がようやく脱稿し、 現在は初校ゲラができあがるのを待っている段階です。 今週末か、来週頭にはやってくるでしょう。 そこからは初校ゲラに赤を入れる毎日が始まります。

今回の「やさしい統計」はタイトル通り、 統計のやさしい内容を扱っています。でも教科書ではないので、 ゆったりした作りで、大事なポイントを押さえる書き方になっています。

最近「やさしい統計」を書いている影響なのか、 「平均年収○○万円……」といったニュースの見出しを見ると、 「中央値は? 標準偏差は?」と考えるようになりました。

中央値は以前から意識していたのですが、 標準偏差を意識するようになったのは最近のこと。 年を取っていても「自分の視点が変化する」 というのはあるものなのだなと、 変なところで感心しています。

後ほど、「本を書く心がけ」のコーナーで、 Web連載を書籍化する際に結城がやったことを、 時系列でお話しします。

 * * *

「聖なるもの」の話。

「聖なるもの」といっても、キリスト教固有の話ではありません。 もう少し一般的な話。

あなたは、自分にとっての「聖なるもの」を何か持っていますか。

「聖なる場所」でも「聖なる日」でも「聖なる人」でもかまいません。 その場所、その日、その人に関わるときには身を正したくなる存在のことです。 そういう存在について考えたことがあるでしょうか。

「聖なるもの」というのは「おかしてはならないもの」 とも言い換えられるでしょう。 単純に「大切にすべきもの」というよりも強い意味ですね。 それを大切にすることによって、自分に何らかの影響があるものです。 自分勝手に取り扱えない、自分の理屈でどうこうできない存在。

そのような「聖なるもの」というのは、 必ずしも宗教的なものとは限らず、多くの人が持っていると思います。 自分の身を正す何か。

そしてその「聖なるもの」というのは人によって違うことも多いでしょう。 ある人にとっては「聖なるもの」であっても、 他の人にとっては「とるにたりないもの」なんてことはよくありそうです。

「聖なるもの」を持っている人は、ある意味では不自由です。 聖なるものの前では自分の意志を曲げる必要が生じたり、 自分の生活を変化させられる必要が生じたりするからです。 でも、別の言い方をすれば、「聖なるもの」を持つ人は、 「自分の《外》に基準がある」とも言えるでしょう。

現代では、自分を基準とする人が多いと感じます。 そしてまた、自分を基準とすることをよしとする考え方もあります (特にそれがいけないというわけではありません)。

進路を選ぶときには、自分の好きな道を選ぼうとする。 食べるものは何で、飲むものは何で、どこへ行こうか何をしようか、 どんな人と付き合って、何を読んで、どんなことを考えるか。 そのすべてを「自分を基準」にすることがよしとされる。

それは確かに悪いとはいえないけれど、 「でも、そんなに自分だけを基準にしていていいのだろうか」 という疑問が浮かぶことがある。 そんなに、自分のことを信頼できるのかな。 そんなふうに思うのです。

「自分の行動を自分で決める、決められる」というのは、 圧政からようやく逃れた人や、 横暴な親からやっと逃れた人には福音であり、千金の重みがあります。 そして、その自由の権利をおかすのは間違っているでしょう。

しかし、その一方で、 「自分の行動を自分が決めるなら、自分は幸福になる」 というのは真だろうか、とも思うのです。

私はよく思います。自分以外に基準があるのは良いことではないか、と。 もしも、私が、自分の基準だけで生きたとしたら、 それは大きく道を外した人生になりそうだな、と思います。

あなたは「聖なるもの」や「行動の基準」について、 どう思いますか。

 * * *

放物線の話。

NHKの大科学実験で行われた「放物面に物体を垂直落下させると焦点を通る」 というようすの動画が公開されていました。

 ◆みんなここに集まってくる−ハイライト/大科学実験
 http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300886_00000

パラボラアンテナの表面は放物面(断面が放物線になるような曲面)で、 その曲面の性質から、どの位置にボールがあたっても焦点を通過します。 放物面の(放物線の)その性質を生かして、 パラボラアンテナが電波を効率的に送受信できるのですね。

という理屈は分かっていましたが、 このような動画を実際に見るのはほんとうに楽しいものです。 数学的な理屈と、パラボラアンテナの美しさと、 電波の送受信という実用性。 それらがボールの動画で可視化されている楽しさ。

 * * *

本音の話。

先日、ある報道関係者(特派員を名乗る人)が、

 「相手の嫌がる質問をぶつけて本音を引き出す」

という取材手法があると語っていました。 結城はそれについて大きな違和感を感じましたし、 私以外にも、違和感を感じていた人がいたようです。

まあ、そのような話はネットではよくあることなので流していたのですが、 私の中にひっかかるものがありました。 それは「本音を引き出す」とはどういうことなのか、という疑問です。

たとえば、私がある人(Aさん)を大嫌いだとします。 私はAさんが大嫌いだけれど、Aさんには恩義がある。だから、 公の場でAさんにはきちんとした応対をしたいと思っている……としましょう。 あくまで仮定の話ですよ。

そうすると、 「私はAさんに礼儀を尽くしているが、Aさんは心の中では大嫌い」 という状況になりますよね。 このとき、ある報道関係者が私に乱暴なことを言い、 つい私がAさんへの文句を言ったとしましょう。 これって、私の「本音」なのでしょうか。

私がAさんに感じている気持ちというのは単純じゃありません。 Aさんは大嫌いだけど大事でもある。 私のAさんに対する「本音」というのは一つではありません。 「大嫌い」も本音だし「大事にしたい」も本音です。

そこまで仮想的な状況を考えてきて少し整理が付きました。 さきほどから書いている報道関係者が語る「本音を引き出すテクニック」 というものはたいへん薄っぺらなのです。 本音を引き出すといいつつも、 自分が記事にする題材を要領良く奪い取るだけの手法にすぎないじゃないか。

もともとの話は、オリンピック選手への乱暴な質問から発していました。 大きな権力を持ち、多数の住民に影響を及ぼす政治家相手なら、 相手が嫌がる質問で「本音」(?)を引き出すのも、 まあわからないでもありません。 でも、オリンピック選手相手にそれはないよなあ、と思うのです。

ある人が大嫌いだけど大事にしたいという気持ちは誰でもありますし、 憎らしいけれど尊敬しているということもある。 報道関係者に求めるとすれば、 懸命に戦ったアスリートを質問で不愉快にさせることではなく、 広い視野と深い洞察&人脈により、 一般人が見逃したり知ることが難しい情報を、 わかりやすく公平に知らしめることではないのかな、と思います。

 * * *

方程式の話。

ときどき、

 「これこそ成功の方程式」
 「うまくいく恋愛方程式はこれだ」

のような表現を見かけます。そして数学読み物を書いている身としては、 「方程式」という言葉にぴくっと反応するわけです。

といっても「方程式というのはそういうもんじゃない」 と目くじらを立てたいわけではありません。 ここでは比喩の一種として使われているわけですから。 むしろそこで、「方程式という用語は、 ここでどういうニュアンスを表現するために使われているのだろう」 と考えたくなるのです。

数学でいう方程式は、たとえば x + 3 = 0 という一次方程式のように、 未知数(x)を含む等式です。 そして、その未知数が満たす数を求める(解を求める) ことが主な関心事になります。 そういう意味では「成功の方程式」や「恋愛方程式」 のニュアンスとはずいぶん違うな、と感じます。

「成功の方程式」や「恋愛方程式」は、

 ・こんなふうにすれば成功する
 ・こんなふうにすれば恋愛がうまくいく

というニュアンスで、 しかもそれがゆるがない「法則」であるかのように表現しています。

そこまで考えてくると、 ここで使われている「方程式」という比喩は、 数学の方程式よりも物理学の方程式に近いようです。 物理学の方程式は、たとえば運動方程式F=maのように、 物理学上の法則を等式によって表現したものが多いからです。

……いや、そういう考察をしたからといって 何かが起きるわけではないのですが、 自分の中で「なるほど、確かに」という納得感が得られたので、 よしとしましょう。

 * * *

本の話。

おともだちの大上丈彦さん( @otakehiko )は、 メダカカレッジという会社の主宰です。

 ◆メダカカレッジ
 http://www.medaka-college.com

「大上」という名前からか、 オオカミのキャラクタがアイコンになっています。

大上さんの「ワナにはまらない〜」という数学の読み物は楽しいです。 タイトルを耳にするたびに、

 「『オオカミさん』が『ワナにはまらない方法』を語るのは、
  動物の世界的な意味でぴったりだな!」

と思っています。

 ◆『ワナにはまらない微分積分』(大上丈彦)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774155683/hyam-22/

 ◆『ワナにはまらないベクトル行列』(大上丈彦)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774176354/hyam-22/

 * * *

「がんばる」ことの危険性の話。

本当に賢い人は「自分が考えなくても正しい答えを得る方法」を考えます。 それは、本当にお金を儲けるのがうまい人が 「自分が稼がなくてもお金が入ってくる方法」を考えるのに似ています。 自分の「がんばり」には期待せず、 本当に意味のあることを考え、何を考えるべきかを考える。 それこそが知恵というものでしょう。

その意味で「がんばりさえすればいい」という考え方は危険です。 がんばることが悪いわけではないし、ときにはがんばる必要はあります。 絶対にそういう場面はあります。 でも、がんばる前に「いまはがんばりどきか?ここはがんばりどころか? 自分はしっかり考えたか?」の問いかけも大事です。 やみくもにがんばるのは思考停止であり、 それは全然がんばってないともいえそうです。

「ここでがんばろう」というのは、 「ここに大きなコストをかけよう」という意思表示です。 しかも「自分ががんばろう」というのは、 「自分しかかけられないコストをかけよう」ということです。 自分のがんばりどころはここなのか、 というのは、考える価値のある問題だと思います。

安易な美談の危険性もここにありそうです。 安易な美談は、メリット・デメリットの的確な判断を鈍らせるからです。 その瞬間の感動と引き換えに、多大なデメリットを引き受けてしまう危険は、 誰にでもあると思います。

また、安易な美談や、華麗な問題解決を求める気持ちも危険です。 日々をトラブルなく過ごせるように考えている主婦や事務方や情シスよりも、 炎上している開発案件に颯爽と現れ、 あっという間に問題解決する天才プログラマを優遇する危険性です。

炎上案件を華麗に火消しする様子は誰にでもよくわかります。それに対して、 昨日と同じ今日を大過なく送れているのはいったいなぜか、 それを見抜ける人は少ないでしょう。 それを見抜くためには「目」がいるからです。 さらに言うなら、目を持っていることを見抜くにも「目」が要りますね。

 * * *

数学トークの話。

結城はカフェで仕事をしています。 あるとき、 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の原稿を読んでいると、 カフェの隣の席で、高校生カップルが勉強を始めました。

しかし、二人とも参考書を目の前に広げてはいるものの、 さっきからずっとおしゃべりをしています。 クラブの話や共通の先輩の話、ネットの話題に芸能人の話題…… 話はずっと続きます。参考書も問題集もさっぱり進みません。

ねえねえ、きみたち。せっかくカフェで勉強してるんだからさ、 おしゃべりはそのくらいにして、参考書を進めようよ。 ……などとおせっかいなことを言いたくなるほどおしゃべりは続きます。

しかしながら、ふと心から声が聞こえます。

ねえねえ、結城さん。せっかくカフェで仕事しているんだからさ、 隣のおしゃべり聞くのはそのくらいにして、原稿を進めようよ。

まったくその通りだ! と思って原稿を進めたのでした。

しかし、その原稿の中では、 テトラちゃんやミルカさんが「僕」と数学トークを続けています。 結局仕事でも、高校生たちのおしゃべりを聞いているじゃん!

とオチが付いてしまいました。

 * * *

では、今週の結城メルマガを始めましょう。

どうぞ、ごゆっくりお読みください!

目次

  • はじめに
  • 数学の問題を出す楽しみ(問題編)
  • 『数式って言葉なんだよ』 - 結城浩ミニ文庫
  • Web連載の書籍化タイムライン - 本を書く心がけ
  • 数学の問題を出す楽しみ(解答編)
  • おわりに