男性が負う社会的な危険や苦役についてですが、この問題の根となっているのは 「社会に求められる男性の在り方」の問題であり、フェミニストがスルーするのは不都合な 真実だけではないのでは(彼女たちが求めるのは「自分たちの社会での在り方」であり、その問題を 取り上げるべきは、彼女たちがそうしているように男性たちが主張すべき事柄だと考えているのでは) またフェミニズムを「女性は男性に比べ、生命を慮られて当然」と定義していますが、 フェミニズムの根本は「女性に男性と同等の権利を」=「働きの場や社会的位置づけを」であり、 前提が違うならば筆者の意見には肯定できかねます。いな、意図して曲解をしているのならば 公平性に欠けています。 また、欧米に比べ女性の社会進出がつい最近ともいえる日本において、 そのはじまりの女性たちが、家という枠組みから外にでたならば社会に求められる姿・ 在り方として女性性の否定を皮切りにしなければ社会に認知されないであろう当時の現状を 無視するのはいかがなものでしょうか。現代においてですら、女性学系統の本を読むと この男並みでなければならないのかはそれこそ当のフェミニストたちすらも意見がわかれているはずです。 くわえて、歴史を俯瞰してみれば日本の女性たちの社会進出は遅かれ・早かれ起きたことであり、 そして社会に進出した彼女たちの「誰か」が声をあげるのも自然な流れでしょう。 それを「駆り立てた」と表現するのはおかしな話ではないのでしょうか。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:1653124)
男性が負う社会的な危険や苦役についてですが、この問題の根となっているのは
「社会に求められる男性の在り方」の問題であり、フェミニストがスルーするのは不都合な
真実だけではないのでは(彼女たちが求めるのは「自分たちの社会での在り方」であり、その問題を
取り上げるべきは、彼女たちがそうしているように男性たちが主張すべき事柄だと考えているのでは)
またフェミニズムを「女性は男性に比べ、生命を慮られて当然」と定義していますが、
フェミニズムの根本は「女性に男性と同等の権利を」=「働きの場や社会的位置づけを」であり、
前提が違うならば筆者の意見には肯定できかねます。いな、意図して曲解をしているのならば
公平性に欠けています。
また、欧米に比べ女性の社会進出がつい最近ともいえる日本において、
そのはじまりの女性たちが、家という枠組みから外にでたならば社会に求められる姿・
在り方として女性性の否定を皮切りにしなければ社会に認知されないであろう当時の現状を
無視するのはいかがなものでしょうか。現代においてですら、女性学系統の本を読むと
この男並みでなければならないのかはそれこそ当のフェミニストたちすらも意見がわかれているはずです。
くわえて、歴史を俯瞰してみれば日本の女性たちの社会進出は遅かれ・早かれ起きたことであり、
そして社会に進出した彼女たちの「誰か」が声をあげるのも自然な流れでしょう。
それを「駆り立てた」と表現するのはおかしな話ではないのでしょうか。